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打てば響く

2020年03月01日
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筆者はとうとう還暦を迎えました。

 

2月29日の閏日は、筆者にとって本当の誕生日です。

4年に1回しか誕生日がないために、役所に届けた筆者の生年月日は
3月1日になっています。

 

昔だと「赤いちゃんちゃんこ」を着てお祝いをしてもらうそうです。

この還暦祝いは中国で発祥し、日本には奈良時代に伝わったそうです。

還暦という言葉の意味は、日本でもおなじみの十二支と、「甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸」の十干を組み合わせた、干支(かんし/
えと)が関係しているということを文献で読みました。

十二支と十干の組み合わせは60種類にも及ぶそうで、人間が生まれてから
60年経つと、この60種類の干支が一巡する関係で、60歳というのは特別
な意味があるのだそうです。

これを「生まれたときと同じ暦に還る(赤ちゃんに還る)」という意味で「還暦」と呼ぶようになったのだそうです。

 

難し過ぎて筆者にはよくわかりません。

 

なぜ、「赤いちゃんちゃんこ」を着るのかというのも、少し調べてみました。

その理由は、赤い色に「魔除け」の力があるとされていたことと、「ちゃ
んちゃんこ」そのものがもともと赤ちゃんに着せる羽織だったことにあり
ます。

赤ちゃんを病気や邪悪なモノから守るために、魔除けの力があると考えら
れていた「赤い色のちゃんちゃんこ」を着せていたそうです。

 

そのため、「生まれたときと同じ暦に還る(赤ちゃんに還る)」という意味を持つ還暦に、「赤いちゃんちゃんこ」を贈るようになったことを知ることができました。

 

これまでの労をねぎらい、「これからも長生きしてね」という願いが込められているんですね。

 

昔は人生50年時代、長くて60年とすると、還暦には特別な思いがあったことはわかるような気がします。

 

画像素材:いらすとや

 

 

筆者にとって、60歳という響きには、還暦以外の意味もあります。

筆者の家系の男性はとても短命なのです。

父親も実弟も40代前半で逝ってしまいました。

家系図を追って調べてみたところ、(調査できた範囲内ですが)最長不倒は60歳でした。

 

そう、とうとう家系最長不倒に並んだのです。

来年まで生きることができれば、記録更新です。

 

でも60年よく考えると、とても長いですね。

 

そう60年間の想い出がたくさんあります。

思い出したくもない想い出や楽しかった想い出。

 

今回の記事では、筆者が社会人になった頃の想い出を少しご紹介してみたいと思います。

 

 

企業は人を育てなくなった?

 

 

筆者が社会人になった頃の日本は不景気を抜け出し、バブルへとひた走った時代でもあります。

今と比較すると、当時の日本の会社では、人をとても大事にしていたのではないかと感じています。

そう、企業もそしてそこに働く人も、「人」を大事にしていたような気がするのです。

企業では、今のように組合が弱体化していなかったこともあり、労働者の権利が明確になっていたような気がします。

企業で働く筆者にもそんなことを感じさせる思い出がたくさんあります。

入社当時にも、今でも記憶に残る想い出があります。

 

工場へ製造実習(研修)に行った時のことです。

1日の実習が終ろうとした頃、作業長らしき人から声を掛けられました。

 

「今晩は、何か用事があるのか?」

 

何もありませんと答えると、終業後に工場の門で待ち合わせの約束をしました。

同じ会社の人とはいえ、初めて会った方ですので、どうするのだろうと考えていると、行先は電車に乗って20分近くも移動した駅の駅前のお寿司屋さんでした。

 

画像素材:PIXTA

 

ネタが大きくて地域の名物店らしく、お客さんで溢れかえっていました。

そこで作業長のMさんから、私にとって勤め始めた会社のことや、社会人のイロハについてとても丁寧に教えてもらったのです。

ご馳走になった上に、勉強までできてしまったわけです。

同じ会社の人間とはいえ、なぜこのようなことができるのでしょうか?

すぐにはわかりませんでしたが、何年か後に理解ができました。

 

私の会社の創業者が残した言葉、

 

「物をつくるまえに人をつくる」

 

この言葉(経営理念みたいなもの)をMさんは実践していたのだと感じたのです。

 

この出来事以降も、いろいろな方から仕事以外で同じようにお世話になることが多くありました。

直属の上司とは違う、まったく別部署の方からお世話になることが多かったのです。

このような教育(本当の教育だと思います)を受けた筆者は、知らぬ間に
同じことをするようになったことは、ごく自然なことなのかもしれません。

この「人を育てる」行為こそが、日本の企業の本当の強みだったのかもしれません。

 

非正規で人を安く雇い、利益を確保する。

人をコストとしか受けとっていない経営の中には、「人を育てる」という行為は存在しません。

この国の企業はもう一度「人を育てる」ということを真剣に考えてみる必要があるのではないかと感じました。

 

 

社会人の基礎を作った出来事

 

 

筆者には、もう一つ忘れられない駆け出しの頃の想い出があります。

その想い出は、もしかすると筆者の仕事に対する価値観を決めた出来事かもしれません。

 

筆者は、若い頃は大阪にあるコンピュータ関連の事業所にいました。

筆者の会社にとってのコンピュータ事業は、一旦撤退後の再参入ということで市場の評価には厳しいものがありました。

導入されていたのは、殆ど社内の事業所と関連企業でした。

 

とある土曜日のこと。

 

土曜日は、有志のメンバーで昼から集まって勉強会をすることが多く、筆者も毎週参加していました。

勉強会の最中に事業場長から連絡があり、家電販売店に導入しているコンピュータが故障して困っておられるので誰か対応してほしいとのことでした。

集まっていたメンバーの中では、筆者が一番若く、場所が奈良県の山奥で
あったために独身で私生活に影響の少ない筆者が対応することになったの
です。

普通は故障を土曜日に受け付けたので、サービス部門が翌月曜日に対応するところですが、とても困っていて、直ぐに対応しなければならない状況
でした。

 

大阪から車で現地に出発したのは、午後2時過ぎ。

住所を確認すると、奈良県を超えて三重県に入った新興住宅街であることがわかりました。

当時は、高速道路もまだ整備されていない頃で、山越え、峠越えをして現地に到着したのはもう夕方の午後5時近くになっていました。

修理は30分ほどで終了し、止まっていた請求書発行の業務を再開することができました。

プリンタの音が騒がしいのを(当時は、今のようにインクジェットではなく針をカーボンに打ち付けて印刷するドットプリンタでした)感じながら
帰ろうとすると、販売店の店主さんから声を掛けられました。

 

私鉄の関連企業が山を切り開いて造成した新興住宅地で家電販売店を営む店主さんは、地域で複数の店舗を展開する販売店の2代目で、若夫婦2人で新しくできたお店を切り盛りしておられました。

店主さんから、

「手も汚れたでしょう。手を洗ってください」

と、お店兼住居の店舗奥の洗面所に上がらせて頂き、手を洗わせてもらいました。

御礼を言って、帰ろうとすると今度は

 

「汗を流していってください」

 

と、いうのです。

確かに夏場で、コンピュータの下に潜って作業をしていたので汗はびっしょりでした。

お気遣いに感謝をして帰ろうとすると、半分無理やりに洗面所の横の風呂場に押し込められてしまいました。

何がなにやらわからない状態でしたが、断り切れずにお風呂に入ると、きちんとお湯が張ってあるではないですか。

筆者の為にお湯をわざわざ張ったのだとわかりました。

申し訳ないので、簡単にシャワーだけ貸して頂きました。

風呂場から脱衣場に出た筆者は、そこで仰天してしまいました。

脱いだ服がきちんとたたんであるではないですか。(下着まで・・)

 

申し訳ありませんと御礼を言い、急いで退散しようとすると、まだ次が
あったのです。

服を着た筆者は、次はダイニングに通されました。

そこには食事が用意されていたのです。

 

「準備をしたので、食べていってほしい」

 

今でも覚えているのですが、赤魚の煮付けと野菜のおひたし、香の物・・・

いくら何でもこれはいけないと思い、何とか逃げ出そうとする筆者を店主
さんが止めました。

 

諦めて店主さんと共に席につきました(いや、つかされました)。
ビールまで出てきましたが、さすがに車なので遠慮しました。

お話をしながら、食事をすると、ここまでして頂く店主さんの気持ちがよくわかりました。

 

・土曜日にコンピュータが故障したので、修理は月曜日になると思った

・請求書が出せず困り果てていたが、助かった

・休みの日に、こんな遠くまでわざわざ来てくれた

・それも若かい方が・・・申し訳ない

 

諦めていたが、対応してもらった。

誠意に対して誠意で返したいという想いが伝わってきました。

 

当時、20代後半か30代前半のこの店主さんからも先ほどのMさんと同様の人を育てるという気持ちを筆者は感じました。

食事までご馳走になった後、車に乗り込もうとした時に、もう一つの驚きが。

フロントガラスが綺麗になっていました。

きっと奥様が拭いてくれたのだとわかりました。

山を切り開いた新興住宅の上の方にある店舗から街を出るために下っていく車が見えなくなるまで若夫婦は手を振ってくれているのが、バックミラーで確認できました。

重たい気持ちで大阪から車を走らせましたが、帰りにはなんとも言えない感動を味わうことになったのです。

まだ若かった筆者には、多くを学べなかったかもしれませんが、この時の出来事がその後の仕事に影響を及ぼしていることは確かです。

 

・どこを向いて仕事をしなければならないのか。

(上司ではなく、お客様にしっかりと向くこと:お陰で上司にゴマはすり
ません)

・誠意は必ず相手に伝わる

・誠意は必ず人を育てることにつながる

 

筆者がまだ若い頃は、間違いなくこの国は、人を育てていました。

いつの頃からかはわかりませんが、この国は人を育てなくなってしまったように感じます。

人は、打てば響く存在です。

使い捨ての道具ではありません。

どのように育てて活かすのか?

この国には、もともと資源はありません。

この国の資源は、人しかないのです。

そのことをもう一度再認識すれば、人が育つ良い国になると思います。

そこには、「希望」とか「夢」という言葉が存在するかもしれません。

 

 

今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうござました。