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昭和の良き時代

2021年06月26日
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2階にある自分の部屋の押し入れを整理していたら、昔の懐かしいアル
バムが出てきました。

 

白黒写真なんかもあってビックリしました。
(写真自体見るのは久しぶりです)

 

筆者は昭和35年生まれ、昭和の時代に育ちました。

63年も続いた昭和、平成は31年続きました。

 

過去の明治(45年)や大正(15年)と比較しても昭和の時代は長か
ったようです。

昭和の時代には大きな戦争があり、昭和の初期に生まれた方々の多くは
戦争を体験しています。

筆者が勉強していた施設にも戦後シベリアで抑留され、生き延びて帰国
された男性(もう100歳)がいて、当時のご苦労をお聞きしたことが
あります。

 

厳しい戦争の後には「復興」と日本を大きく変えた「経済成長」があり
ました。

 

厳しい時代から良き時代へと変わった昭和。

 

昭和はなぜ良かったのでしょうか?

 

 

 

筆者が住む街にある有名な蕎麦屋さんです
昭和の時代を思い出させてくれる佇まいですね

 

 

明日は今日より良くなる

 

 

いろいろな良いところはありましたが、筆者はその中で一番だと思うの
は「頑張れば報われる」時代だったということです。

当然すべての人というわけではありませんが、殆どの方々がそれを実感
できた時代でした。

 

だから国民は生活が厳しくても頑張れたのかもしれません。

 

一方では戦後の混乱の中で、次々に社会保障制度は整備されていきまし
た。

 

そして経済が上向きになってからは、所得がグングン上がっていきまし
た。

 

1億総中流時代の到来といわれ、明日は今日より良くなるという実感が
味わえた時代でした。

 

まだまだ生活は貧しかったのですが、頑張れば、努力すれば生きていけ
た時代。

 

経済成長を支えたサラリーマンは、長時間労働で朝から晩まで仕事に明
け暮れました。

海外からは「エコノミックアニマル」とか「会社の奴隷」とかバッシン
グを受けました。

 

当時、日本の代表的な住居であった団地は、「ウサギ小屋」とバカにさ
れましたが、日本人は努力して経済力をつけ、住環境も劇的に変えてい
きました。

 

日本の会社員がもらう給料は、当時では世界でもトップクラスの水準で
した。

だからこそアジアの発展途上国の人たちは日本を目指したのです。

 

その時、仕事を求めて日本を目指したのは中国人が多かったのですが、
今は観光客へと変化してしまいました。

 

バブル崩壊で自信を無くした日本は、その後「失われた20年」とかい
われても奮起することができず、低成長どころかマイナス成長を続けて
います。

日本人の給料は一部のエリートを除いて伸びなくなり、どちらかという
と減少しています。

 

海外の主要国ではその殆どが給料は上がり続けていますが、以前の記事
でもご紹介したとおり日本だけは右肩下がりです。

 

なぜこんなことになっているのか?

 

 

政府のブレインとしてもご活躍されているデービット・アトキンソンさん
のあらわしたグラフを見ると、とても大きなショックを受けます
何が間違っていてこうなるのかと

 

 

 

一番の問題は「非正規」という働き方です。

筆者はまずこの「非正規」という働き方をやめるべきだと思っています。

 

所得が減り、格差を拡大させた最も顕著な要因です。

 

少し古いデータですが、2015年に国税庁が調査した日本人の給与の平均
は、正規社員で平均418万円(年収)、非正規で171万円(年収)だっ
たそうです。

正規雇用と非正規雇用とではこれだけの差があるのです。

 

低次元の比較をしている間に、欧米との格差は広がるばかりです。

 

欧米では2000年と比較すると、平均で2倍近くも給与が伸びているのに、
この日本では給与も停滞し縮小しています。

 

昭和の時代、急成長したものが平成の時代以降縮小し続けているのです。

 

昭和の時代、今日より明日の方がよくなる実感があったのですが、その
後明日がどうなるのかもわからなくなってしまいました。

 

非正規で働く人が増えた分、誰かが得をしているのでしょうか?

それともこの国は全てが縮小してしまい、全体的なパイが小さくなって
しまったのでしょうか。

 

昭和の時代を考えた時、何がどうなっているのかという検証は確かに必
要かもしれませんね。

 

 

 

昭和の時代の和風建築はどれもこんな感じでした
西洋式の広い庭ではなく、小さな裏庭があり、廊下の外れには
厠(トイレ)があります

 

 

 

昭和のもう一つの良い点

 

 

昭和の時代のもう一つの良いところは、家族との関係です。

 

昭和の時代は多くの世帯が大家族(3世代世帯)でした。

 

一家の主であるお父さんは定年まで家族の為に頑張り、定年後は子供に
面倒をみてもらいながら余生を送っていました。

 

孫の世話はもっぱらおばあちゃんとお爺ちゃんだったのです。

今のように保育園もたくさんありませんでした。

 

子供たちは祖父母から多くを学ぶことになります。

 

当然、そこには虐待とか差別とかいう言葉は存在しません。

 

孫たちも祖父母の影響を受けて育ち、そして祖父母の死を身近で体験す
ることになります。

 

その過程で自分の両親もいつかは祖父母のように老いていくことを自然
に学ぶのです。

家の中で自然と学習ができる仕組みがあるなんて凄いことだと思いませ
んか。

 

その学習内容は、学校でもインターネットでも学べないことばかりです。

 

以前の記事で、ヤングケアラーの問題に触れましたが、家族の介護は後
ろ向きに捉えないで前向きにとらえる方法もあります。

 

家族との関係性は昔とは大きく変わってしまったのだから仕方がないと
済ませばいいのでしょうか?

「時代が変わったから仕方がないんだ」と簡単に済ませる問題なのでし
ょうか?

グローバル化の進展で競争が激しくなったんだ!

 

コロナ禍を教訓にして働き方も家族の在り方ももう一度見直してみるべ
きではないかと筆者は考えています。

 

その時に一つの手本となるものがあるような気がするのです。

 

そのヒントは、生活は楽ではなかったけれど、国民がみんなで頑張れた
昭和の時代に隠されているような気がします。

 

そして、頑張れば明日は今日より良くなる時代を築くのは我々大人の仕
事ではないかと。

 

今回の記事も筆者が最近感じたことを記事にしてみました。

 

 

今回の記事も最後までお付き合い頂き、感謝申し上げます。