BLOGブログ

NEXT PLAN75

2026年05月02日
9

筆者はまた首都圏に向かう新幹線の中にいます。

 

車窓から見える山並みの緑が色鮮やかになってきました。

 

緑も一色ではなく、緑色が何種類にも見えます。

 

淡い緑

 

エメラルド色に近い緑

 

黄色っぽい緑

 

パッと見ても4~5種類くらいの緑で山が彩られて見えます。

 

本格的な春が来たようです…

 

でも筆者の気分は、この美しい緑のように弾んではいません。

 

どちらかというと、どす黒い緑という感じです。

 

気分が乗らない原因は自分でわかっています。

 

昨日見たテレビの影響で、1日経っても気分がどこか落ち込んでいるようです。

 

そのテレビで放映されていた映画の題は、PLAN75…

 

以前の記事でもご紹介したことがあるのですが、4年前に映画館で公開された映画です。

 

その映画がテレビで放映されていたのです。

 

 

春本番 新緑が様々な色で輝いています…

 

 

 

映画の冒頭で、社会保障費の暴騰に悩み追い込まれた政府が、国会で75歳以上の高齢者が自分の意志で死を選択できる「PLAN75」という政策を可決させていました。

 

高齢化率の高まりとともに鰻上りの社会保障費、

 

医療費や年金で国が押し潰されそう…

 

非正規を放置した結果の(本来社会を支える存在である)現役世代の貧困…

 

そこに社会保障費の負担が増えれば、当然のごとく現役世代の不満は爆発する…

 

国が打ち出した施策PLAN75の正体は、

 

「(国が)あなたの最後をサポート(支援)します」

 

悪く捉えるならば、国による人殺しとも捉えることができそうです。

 

こんな社会を反映したノンフィクションですが、とても映画とは思えません。

 

映画には絶望する高齢者と社会に希望を見出すことができない若者が登場します。

 

退去勧告が出た古い団地の一室で、単身で暮らす高齢の主人公を名優倍賞千恵子さんが演じていました。(映画の設定では主人公は78歳)

 

ご主人も頼る親族もいないようです。

 

親族なのでしょうか…

 

電話で何度も連絡を試みる主人公…

 

でも、連絡先につながることはありませんでした…

 

同年代の友人も孤独死していきます。

 

転居先を見つけようとするのですが、高齢と資金難を理由に断り続けられる状態に…

 

そんな中、清掃員として働く主人公が、高齢を理由に(年齢制限で)解雇され、

 

将来に絶望を感じて、

 

とうとう自ら死を決意するというストーリー…

 

映画の中では、主人公の苦悩だけでなく、PLAN75を推進する自治体の若手職員の葛藤も描かれていました。

 

「こんなことは人間として許されるべきではない…と」

 

でも、

 

将来に絶望を感じて、

 

追い詰められ、

 

次々と自ら死を選択していく高齢者たち…

 

郊外にある施設で、工場の流れ作業のように(処分)されていきます。

 

まるで人間ではないかのように…

 

この映画はまさに「現代版姥捨て山」と言えるのかもしれませんが、このままこの国が無策を続ければ本当のことになるかもしれないと筆者は思ったのです。

 

そんなことになれば本当に恐ろしいこと…

 

こんな想いが1日経っても筆者の調子を狂わせています。

 

 

画像素材:いらすとや いらすとやさんの画像素材をもとに筆者が加筆してつくりました
映画の中では市役所の窓口以外にも公園でPLAN75の出張応募サービスが実施されていました その時に掲げられていた「のぼり」に怒りにようなモノを覚えました…(実際の映像には※の記述はなし)

 

 

高齢化問題は、もう何十年も前からわかっていたことなのですが…

 

問題の先送りばかり…

 

その結果が、今の少子高齢化の課題という悲しい現実が横たわっています。

 

ただ、このPLAN75という映画の中にはその課題解決に向けたヒントのようなモノが散りばめられているのです。

 

そう、そのヒントについて今回の記事で考えてみたいと思います。

 

 

社会の形

 

 

高市総理が武器輸出を容認させようとしています。

 

「時代が変わった…」

 

時代が変わって社会の形が変わってしまったのかもしれません…

 

そうであれば、時代に合わせて社会の形を変えるものは他にもありそうです。

 

少なくとも視点を変えれば、他の政策は見えてきそうです。

 

それも(PLAN75のような後ろ向きな施策ではなく)前向きな政策が…

 

国民の幸せを考えれば、それが必要な時代になったとも言えそうです。

 

倍賞千恵子さん演ずる主人公も高齢ですが、まだ問題なく働くことができました。

 

ただ、高齢というだけで働くことができなくなる…

 

年金だけで生活できない現実があるにも拘わらず…

 

生活保護のような対応でなくても、元気で働けるなら、(年齢が)いくつでも働くことができる社会が今必要なのです。

 

そうすれば、PLAN75のような事態を防ぐことができるだけでなく、高齢者の健康寿命を伸ばすことも不可能ではありません。

 

働くことで健康寿命を伸ばし、医療費も抑えていくことが可能なのです。

 

高齢者をどのように扱うのかでこの国の未来は変わります。

 

無能で弱い存在と決めつけるのか…

 

それとも

 

(元気な高齢者を)この国の貴重な資産として扱うのか…

 

国の政策一つで変わると筆者は思うのですが…

 

 

画像素材:いらすとや  元気に笑顔で働く高齢者が増えれば、この国はもっと良い国になる筈…

 

 

 

日本版CCRC

 

 

以前の記事で、CCRC(Continuing Care Retirement Community)というものが存在することをご紹介したことがありました。

 

日本語にそのまま直訳すると、「継続ケア付き高齢者居住コミュニティ」ということになるのですが、

 

米国でリタイヤした方々が、将来老いても心配なく暮らしていけるコミュニティをつくる為に生まれた言葉です。

 

日本では、都市部に住んでいた高齢者が地方などに移住し、多世代交流や就労・生涯学習を行いながら、必要時に医療・介護を受けられる地域づくりの構想として推進されているようです。

 

どちらかというと、裕福な高齢者の皆さん向けに大手企業がコミュニティをお金儲けとして提供している傾向があります。

 

サービス付き高齢者住宅というものがあるのですが、その進化系のようなモノかもしれません。

 

ただ、そんなところは極僅かな(裕福な)高齢者しか利用することができないのです。

 

PLAN75で描かれていた(自ら死を決意する)普通の高齢者の皆さんがこのようなコミュニティを活用できるはずはありません。

 

以前の記事でも、この国では今孤独死が爆発的に増えているとご紹介したことがありましたね。

 

単身高齢者世帯が増えているのですから仕方がないことかもしれません。

 

反面、高齢者の孤独死を敬遠して、高齢者の皆さんは賃貸物件を紹介すらしてもらえない実態があります。

 

PLAN75の主人公にように、高齢になると住むところの確保さえ難しくなります。

 

これからの高齢化の深化を考えると、高齢者の住まいを確保することを国策として実施する必要があると思うのです。

 

金儲けだけの新自由主義に任せていれば、問題は解決しません。

 

 

 

画像素材:PIXTA  国策として高齢者が安心して暮らせるコミュニテイづくりができれば… そうすれば爆発的に増加する一方の孤独死も減らせる可能性があります 市場に任せても改善はしません

 

 

 

かつて国は高齢者施設をバンバン建てて反省したのか、随分前に止めてしまいました。

 

今度は弱った高齢者を助けるためではなく、元気な高齢者に安心して社会に貢献してもらえるように、普通の高齢者向けの日本版CCRCを整備する必要があると思うのです。

 

高齢になっても、

 

単身になっても、

 

助け合いながら住めるコミュニテイがある、

 

安心して働く場所もある、

 

高齢者が社会に貢献できる社会になれば、

 

元気な高齢者はこの国の社会にとって貴重な資産になることができます。

 

(高齢になっても)働くことができる

 

(高齢で単身でも)安心して住むことができる

 

それができれば、孤独死も激減させることができそうです。

 

そして、コミュニティの中で相談ができる、

 

これで健康寿命を伸ばすことができれば、

 

高齢者も国もHAPPYになれるのです。

 

そんな国に是非なってもらいたいものです。

 

今回の記事は、PLAN75という映画を久しぶりに見て、思ったことを記事にしてみました。

 

このPLAN75という映画、

 

とても悲しい映画ですが、

 

この国に存在する高齢化爆弾の起爆装置を外す為のヒントが隠されていると筆者は感じました。

 

高齢化爆弾がさく裂したら、PLAN75の中で多くの高齢者が安楽死していったように、この国もいつかは安楽死することになるかもしれません。

 

映画の中で、叔父を安楽死の会場まで送り届けた自治体職員の若者が、取って返して叔父の遺体を回収するシーンがありました。

 

若者が施設に戻った時には、既に叔父は亡くなっていました。

 

ただ、若者は叔父の遺体を自分で回収し、自分の手で埋葬しようと奔走します。

 

若者は自分の行為が誤っていたことを悟りました。

 

そして考え方も行動も変えたのです。

 

この国は考え直さなければならないのかもしれません。

 

そうしないと、PLAN75は現実になるかもしれないのです。

 

安楽死を勧める(生きる希望を諦めさせる)為の相談窓口を設けるくらいなら、他の相談窓口がある筈ですね。

 

国民に希望を与えるような政策を待つばかりです。

 

PLAN75という映画をまだ観たことがないという読者の皆さんも、一度観てみてください。

 

きっと、損にはなりません。

 

今回の記事も最後までお付き合い頂き、感謝申し上げます。