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人生100年時代の才覚を身に着ける(1/2)

2019年10月27日
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今回の記事は、前回の記事に続いて大月先生との対談記事にさせて頂き
ました。

 

東京大学の本郷キャンパスにある工学部一号館というとても歴史を感じ
させる建物の中にある大月先生の研究室にお邪魔してお話をお聞きしま
した。

 

前回の記事のテーマでもあった近居のことだけでなく、人生100年時
代にはどんな能力が必要なのかというところまで幅広くお話をお聞きす
ることができましたので、皆さん最後まで大月先生のお話しを楽しんで
みてください。

 

 

大月 敏雄 先生

 

空き家問題

 

【星田】

 

本日はお忙しい中、ありがとうございます。

まず大月先生には近居にも使える可能性の高い、空き家(問題)につい
てお聞きしてみたいのですが。

 

【大月】

 

そうですね。

 

空き家と言えば、戸建て住宅だけでなく、商店なんかも問題になってい
ますよね。

 

【星田】

 

シャッター商店街とよく言われていますね。

 

【大月】

市役所や商工会議所は見た目が寂しいので、何とかしようと躍起になっ
ています。

 

でもシャッターが閉まった商店の中にはちゃんと人が住んでいることも
多く、役所の人が店舗だけでも他人に貸すようにとお願いしたりします
がたいていの家主には、その気はないんです。

 

なぜならば、今のままでも十分幸せだからです。

 

高度成長期やバブルの時期に、すでに十分稼いで蓄えがあるし、

子供は東京のいい大学にいって独立して手間もかからないし、

今は年金もある。

 

というわけで、今さら、お店やったり、人に貸したりなんて面倒だし…

 

ということが多いのです。

 

シャッターが閉まっているお店の表側は寂しくて暗い感じがするけれど
も、シャッターの向こう(裏側)は、十分HAPPYなことも多いんです
よ。

 

シャッターの向こうは、実は日本人が戦後ずっと夢見た風景が広がって
いたりするんです。

 

 

 

 

おそらくこうした事情も大きく手伝って、シャッター商店街が復活した
という話は、なかなか聞かないのです。

 

この状況は商店街だけでなく、戸建ても似ています。

 

戦後すぐの日本人は、欧米の暮らしを夢見て、憧れていました。

 

大きな冷蔵庫(電化製品)、ゆったりできるリビング、広いとはいえない
が庭もついている。

 

戦後の夢は、ある意味でたいていは実現できているんです。

 

しかも、子供たちも立派な教育を受けて巣立っているし、

 

申し分ないはずなのですが、

 

こうした戸建ての住宅ばかりがずらっと並んでいる住宅地は、地方の駅
前商店街みたいに活気がない。

 

かつては子供部屋だった、余っている部屋を貸すこともできないし、貸
す発想も湧かない。

 

面倒くさいからです。

 

そのうち連れ合いが亡くなり、ますます部屋は空いてくる。

 

しかしやがて、住み手が高齢者施設に入ったりするとついに空き家にな
る。

 

だが、相続する側にとっては、とかく面倒なだけなのが、今の空き家の
現状ではないでしょうか?

 

昭和の夢の抜け殻を、地域の問題になるまで放置している。

 

これが、全国で一斉に起きていることです。

 

【星田】

 

私が住んでいる兵庫県三田市も20年ほど前は、大阪と神戸のベットタ
ウンとして栄え、人口増加率が10年連続で日本一を記録しました。

 

それが今や高齢化の波が押し寄せ、ショッピングセンターに行っても空
き店舗が目立つ様になってきました。

 

地域は問題視しても、状況は何も変わらないんです。

 

 

日本人は豊かになったのか?

 

【大月】

 

日本人は確かに豊かになった。

 

かつて夢見た生活をある意味実現した。

 

しかし、それはある意味「家の中」だけの話で、

 

日本人は家の外、家と家との空間、家の周辺(環境)には気を配ってこ
なかった。

 

ある意味で、家の中だけの幸せ、家の中に籠城して幸せを求めてきた
もいえます。

 

いわば、これが日本人の「昭和の時代の幸せ」だったのではないでしょ
うか。

 

 

 

 

でも高齢化に伴い、親は弱っていく。

 

そして死んでいく。

 

そこで親の家はどうする? となるわけです。

 

何とかしたいけど、親とは離れていて遠いし、仕事も忙しい。

 

結局面倒なこともあり、放置される。

 

そして空き家になる。

 

これが今の空き家問題です。

 

冷静に考えると、日本人は欧米の生活に憧れ、家族の幸せそのものを追
求してきた。

 

日本人なりの幸せを追求してきた結果、独立した家族の幸せは実現でき
たかもしれない。

 

でも、かたや地域空間における幸せは追求してこなかった

 

これには戦争の影響もあると考えています。

 

戦争に負けてからは、地域のことなんて・・・

 

町内会・隣組なんてやめとこうぜ・・・

 

という風に、それまでの価値観は変わってしまった。

 

町内会もいまや希望者のみ参加する組織になってしまった。

 

【星田】

 

本来は地域のコミュニティはとても大事なはずなのに…

 

残念ですね…

 

読者の皆様、今回の記事は一旦ここで終了させて頂きます。

 

日本人は確かに豊かになりました。

 

でも、空き家問題を通して、その豊かさに大きな疑問も生まれ始めたこ
とがわかってきました。

 

次回の続編記事では、日本人の幸せの定義について大月先生とともに学
んでいければと思っています。

 

今回の記事も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。