BLOGブログ

生きづらさの正体

2022年10月22日
11

最近、「生きづらさ」という言葉がそこら中に溢れています。

 

それも大人だけでなく、子どもたちの間にも。

 

流行語にはなって欲しくない言葉ですが、残念ながら筆者が毎日のよう
に目にしたり耳にする言葉になってしまいました。

 

確かに世代によっては、受け止められ方は少し違うようなのですが…

 

中年や高齢期の方々にとっては、今迄できていたことができなくなると
いう壁にぶち当たっているようです。

 

(自分が思ったように)働けない…

 

やりたいことができない…

 

特に仕事人間だった中年・高齢期の男性にとっては、初めて「社会参加
への制約」を受ける苦しみを味わうことになっているようです。

 

その代わりとして「癒し」や「居場所」という半ばゴマカシ的な存在ま
でもが重宝されているのかもしれません。

 

60歳で雇用延長しても、多くの方々がやり甲斐や生き甲斐を失くし、
以前の記事でもご紹介したように、65歳を待たずして会社を辞めてい
く人が後を絶ちません。

 

会社を辞めて次の求職活動をしても、60歳を超えると職に就ける可能
性はガックリと下がる為、結局は

 

「退職金もあるし…」

「なんとか切り詰めれば年金も貰えるようになるし…」

 

と諦めてしまうことになることが多いようです。

 

 

 

希望の蕾が膨らみ、花開く社会にならなければならないのに、実際には
その逆の方向へと社会は向かっています

 

 

 

生きづらさを「障害」という言葉で表現される方も多いのですが、筆者
は障害というものではなく、いつも「社会(構造が産んだ)の壁」と表
現しています。

 

この壁には、「虚しさ」「絶望」「哀しさ」といった言葉が塗りこめら
れています。

 

そして、この壁には悲しくなるような言葉が次々とブラックホールのよ
うに吸い込まれていくのです。

 

この社会(構造)が産んだ「生きづらさ」を解決する方法はまだ見出せ
ていませんが、最近気になる言葉が「生きづらさ」と同じように流行し
ています。

 

その言葉は、「自助」です。

 

最近、政治家はこの言葉を頻繁に使うようになりました。

 

この「生きづらさ」は全て自分の責任だと言わんばかりにです。

 

この「生きづらさ」の本質的な要因は、社会(構造)にあるにも拘わら
ず、自助でそれを解決するようにと、この言葉を促しています。

 

片や先日の記事でもご紹介したように社会保障費の暴騰は止まりません。

 

高齢期の方々への負担は、全世代対応型の社会保障システムへの転換で
増える一方です。

 

どうやらこの「生きづらさ」の本当の正体は、全て個人の責任に押し付
けられる今の社会構造そのものなのかもしれません。

 

この「自助」という社会構造の先には、全世代型生きづらさの時代が待
っています。

 

「本当にこんな社会(構造)でいいんだろうか?」

「なぜこの国の社会構造は変わらないんだろうか?」

 

と声を上げる政治家を見かけることはありません。

 

おかしな集団との関係をひた隠しにして、シラを切り続ける政治家は多
いのですが…

 

哀しいかな国民の「生きづらさ」は感じ取ってはいる人は少ないのかも
しれませんね。

 

 

 

生きづらさを感じている人の割合を調査してみたらどんな数字になるの
でしょうね 恐ろしい数字になるかもしれません

 

 

自助の反対語

 

 

以前の記事で、長生きできる街と長生きできない街があるとご紹介した
ことがありました。

 

人間は、置かれている環境の影響を大きく受けるのです。

 

自助ばかりでは解決しないことは、たくさんあります。

 

自助の反対語には、「互助」や「自立」という言葉があります。

 

この「自立」にはなんでも自分でできることという意味合いがあり、自
助と同じ言葉のような気がするのですが、実は別物です。

 

自立の定義をこう表現する人もいます。

 

自立とは依存先の不在を意味するのではなく、依存先の分散である

 

ようするに全て自分でできることが自立という意味ではなく、フォロー
する人が周りにたくさんいることが自立だと言っているのです。

 

冷静に考えると、全て自分でやることには無理があります。

 

だからこそ周りのフォローがあることが大事で、それを自立と言ってい
るのです。

 

「自助」という無責任な表現ではなく、良い意味での「自立」を実現す
ることが、今蔓延する「生きづらさ」に有効なのかもしれません。

 

 

 

筆者は「自助」という無責任な言葉が大嫌いです!

 

 

公助の力が衰えている

 

 

コロナの対応をひとつ見ても、景気対策を見ても、この国の具体策は経
済偏重であるといってもいいのかもしれません。

 

でも、この国の経済は人口減少をみても、少子高齢化をみても、もう右
肩上がりにはなりません。

 

賃金が減り続けていることをみても、自助には限りなく無理があるなと
感じてしまいます。

 

賃金が減れば、納税額も減るわけなので、行政の財政も厳しくなってい
きます。

 

そうでなくても高齢化で行政の財政は逼迫しているにも拘わらずです。

 

公助の力が衰えていく中で、将来の不安ばかりが増えていきます。

 

そう、生きづらさを生んでいる「社会構造」が生み出す様々な「不」が
とても問題なのです。

 

「不安」「不満」「不平」「不信」

 

どれも嫌な言葉ですね。

 

この「不」の集団を生んでいる大元(素)を叩くような政策や対策が無
い限り、この「生きづらさ」は無くなりそうにありません。

 

そんな素晴らしい政策や対策を待つのでなく、我々はこの「不」にどう
対処していくべきなのでしょうか?

 

次回の記事からは、この「不」にどう対応していくべきなのかを読者の
皆様と一緒に考えてみたいと思います。

 

 

この「生きづらさ」をどう解消していくのか、是非お付き合いください。