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地域社会の在り方

2023年12月16日
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仕事柄、高齢者が住むたくさんの集合住宅を訪問しています。

 

そこでは、大きな社会問題にもなっている現象を「生」で見ることがで
きます。

 

高齢の親が、自身の年金を使って長年引きこもる子供を支えていること
をいう「8050」問題もその一つです。

 

筆者が見ている現場は、80代の母親と50代の息子のケースが多く、
殆どの世帯では既に父親は他界しています。

 

この「8050」問題も、更に高齢化しており、近々に「9060」問
題と呼べる状態になりそうです。

 

完全な引きこもりではなくても、孤立する子供の面倒を高齢の親がみる
という高齢化が生んだ「新しい家族形態」が生まれつつあるのです。

 

親子共々高齢化していく実態を見ていると、これからこの世帯の生活は
どうなっていくのだろうと少し心配にもなります。

 

更なる高齢化と問題の長期化が、社会に与えるインパクトを確実に大き
くしていると感じています。

 

 

この国の社会問題はドンドン増えていきます
いい加減に解決させていかないと大変なことになりそうです

 

 

新しい老々介護

 

 

そんな親子関係とは反対のケースも存在するのです。

 

「9070」ともいえる問題です。

 

どんな状態かというと…

 

90代の要介護状態の親を70代の子供が働きながら介護するという状
況をいいます。

 

筆者が訪問したお宅でも90代の母親を70代の息子さんが同居して介
護をしていました。

 

画像素材:いらすとや 
親も子も高齢者になるという新しい家族構成が生まれています
「夫婦で老々介護」ではなく「親子で老々介護」の時代がきました

 

 

比較的安価で入居できる特養(特別養護老人ホーム)の順番待ちなので
しょうか?

 

息子さんが、寝たきりの母親と同じ部屋で寝起きして生活をしています。

 

息子さんの少ない年金だけでは、介護費用や生活費が賄いきれず、70
を超えても夜遅くまで働いています。

 

昼間は、母親の介護をヘルパーさんに任せていますが、働いて家に帰っ
ても、今度は母親の介護が待っているのです。

 

高齢者が高齢者を介護することを指す「老々介護」、

 

今迄は年老いた夫婦が、弱ってしまったパートナーを介護するケースが
殆どだったのですが、これからは高齢者である親子がいずれかの介護を
実施するというケースも増えていきそうです。

 

8050」問題が、「9060」問題に進化する中で、今度は「90
70」問題の影響も大きくなっていきそうなのです。

 

これからも、高齢化と共に弱っていく高齢者は増えていきます。

 

そして、生活に困り果てる高齢者も増えていくのです。

 

こんな状態では、社会保障費はドンドン増えていきそうです。

 

その反面で、その社会保障費を支える現役世代は細くなって、小さくな
っていくのです。

 

 

画像素材:PIXTA 
残念ながら介護施設はこんな微笑ましい場所ではありません…

 

 

地域社会の在り方

 

 

お尻に火が付いた国もようやく少子化対策に乗り出そうとしていますが、
そんなにすぐに子供たちが増えるとは思えません。

 

そして、年金が増えるとも考えられません。

 

筆者がいつも記事に書いているように、高齢でも生き甲斐を持って、キ
チンと評価された収入で働けることが一番だと思うのですが、その為に
は健康を維持しなければなりません。

 

一度弱ってしまった高齢者をもう一度元気にしたり、

 

弱らせないように予防したりするような活動が、

 

地域としてできる社会にしていかなければならないのです。

 

高齢者が自主的に集まって、悩み事を誰かに聞いてもらったり、

 

ちょっとした健康管理をしてもらったり、

 

身体や頭を動かせる場所が地域の中にあれば、それができるのですが…

 

そこで食事ができたり、お茶が飲めればベターです。

 

もっと望むなら、そこで少し働くことができる…

 

働いたお金で食事ができるなんて最高ですね。

 

それも週1回とか、月1回のレベルではなく、できれば週5日レベルで
必要なのです。

 

要支援状態になればデイサービスを活用できますが、デイサービスも以
前の記事でも書いたように全てが「流れ作業」で動くので、心休まると
ころではありません。

 

ようするに、行きたい場所ではないのです。

 

家族を介護から解放する為に仕方なく行くところなのかもしれません…

 

筆者がデイサービスで勉強していた頃は、よく利用者から「早く家に帰
りたい」と聞かされていました。

 

決して「行きたい」場所ではないのです…

 

最近は、集合住宅の一角にデイサービスがあるような場所もありますが、
こんな高齢者が構えるようなところではなく、ふらりと行けるような
行きつ」のような雰囲気のある場所が必要なのです。

 

以前の記事でご紹介しましたよね…

 

「行きつけ」 = 「居場所」

 

 

画像素材:いらすとや
サラリーマン時代には会社帰りに寄る「行きつけ」があった筈です
そこは、じぶんにとっての「居場所」だった筈…

 

 

そんな「居場所」的な場所が家の近くにあれば、元気な高齢者が増える
のではないかと筆者は考えています。

 

でも、以前に社会福祉協議会の方にこんなお話しを聞いたことがありま
す。

 

「介護予防の為にイベントを開催したが、誰も来なかった…」

 

「だから、すぐに止めてしまいました…」と…

 

会場までの足の確保や、イベントの中身、その幅広さにも課題があった
のかもしれませんが、とにかく行きたい時に行けるような雰囲気がない
と長続きはしません。

 

「行きたい」と思わなければ、行かないのです。

 

「介護状態(認知症)になりたくなかったら、ここへおいでよ」

 

なんてメッセージを受け取るようでは気は進みませんよね…

 

楽しい時間を過ごして、美味しいものを食べて、身体と頭を動かして、

 

その結果で、

 

「みんなで元気になって、少しでも健康寿命を延ばして、ピンピンコロ
リで苦しまずに逝きましょうね…」

 

「そうすれば家族も、地域も、国も助かるのです」

 

というメッセージが伝わればいいのです。

 

そんな場所が、「居場所」であればいいのです。

 

弱った高齢者を介護施設で助けるだけでは、いずれ限界がきます。

 

後ろ向きに社会保障費を使うのではなく、前向きに使う方法をもっと考
えていく時代になったと考えるのは筆者だけでしょうか。

 

弱っていく高齢者の何十倍、何百倍もの高齢者を元気にしていくことで
きればいいのですが…

 

今回の記事は、地域社会の在り方について考えてみました。

 

 

 

今回の記事も最期までお付き合い頂き、感謝申し上げます。