この国はまた貧しくなるのか?(前編)
このところ、暗いニュースが続いています。
闇バイトで募集された若者による凶悪犯罪が後を絶ちません。
なぜ、こんなことが起きているのでしょうか?
次々と逮捕される実行役とされる若者の口からは同じ言葉が…
「生活が厳しかった(金が必要だった)…」
これほどのたくさんの若者が、悪いことだとわかりながら犯罪に手を染
めるのには理由があると思うのです。
「真面目に働いても食べることができない社会」
になってしまったからです。
「賃金の安さ」
「過酷な職場環境」
「多様性を欠く社会」
等の厳しい環境が、若者の未来に暗い影を落としています。
おまけに企業は業績が悪くなると、すぐにリストラ(首切り)を発表し
ています。
最近の自動車メーカの発表には唖然としました。
経営陣の責任問題よりリストラの方が早く発表されることに、とても違
和感を覚えます。
こんな状態が続けば、この国はどうなるのか…
また、この国はさらに貧しくなっていくのか心配になってしまいます。
この国はとても美しい季節になりました 写真は奈良公園(東大寺)
ただそこには暗い影もあるような気がしました
貧しいとはどういうことか
筆者が生まれた頃のこの国は、まだ貧しかったといってもいいのかもし
れません。
裕福な家庭は少なく、
中流家庭の比率も低く、
貧しい家庭が多かったことは確かです。
筆者の家庭もとても貧しく、食べるものもまともにはありませんでした。
筆者が中学生の頃、家に帰ると小学生の弟が、冷蔵庫の中に上半身を突
っ込んで悪戦苦闘していました。
学校から家に帰ってきてお腹が減ったのでしょう…
冷蔵庫の中に何か食べるものがないか…
中を見ても何も入ってはいません。
冷蔵庫の奥に”ひなびた白菜”の葉の端切れを見つけて、それを取ろうと
必死にもがいていたのです。
その”ひなびた白菜”をむさぼる弟を見て、
筆者は、
「せめて洗ってから食べろ…」
と言ったことを今でもよく覚えています。
筆者は大阪の下町(中小工場が集まる東大阪市)育ち
ガヤガヤとうるさい都会から今は静かな田舎の盆地住まい
写真は兵庫県三田市(武庫川沿いの遊歩道)
当時はこんな厳しい家庭が多かったことは確かだと思います。
筆者の周りには厳しい生活環境がわかる事象で溢れかえっていました。
そんな事象の中に、こんな出来事がありました。
小学校の頃の同級生M君は、とても小さな男の子でした。
彼の栄養状態が良くないことは一目でわかりました。
彼の頭には、いつも十円玉大のハゲがいくつもありました。
そして、M君は年に2回くらい入院をして学校を休んでいたのです。
体が弱かったわけではないのです。
入院の理由は交通事故だったのです。
それも「当たり屋」をすることによる入院でした。
当たり屋という言葉を聞いたことがない読者もおられると思いますので、
少し説明をさせて頂くと、
故意に自動車の前に飛び出し、事故を起こして、慰謝料をせしめる犯罪
行為のことを当時は当たり屋と呼んでいました。
筆者の子供の頃は、結構(大阪の下町でも)頻繁に起きていた事実です。
親が貧しい為、親が子供を使って犯罪行為をするのです。
とても悲しい事実ですが…
M君の頭のハゲは事故によるものではありません。
精神的なストレスからできたものだったと推察できます。
10歳くらいの少年です。
この国は、かつてそれほど貧しかったのです…
M君が退院して学校に戻った時、女の先生が涙を流してM君を抱きしめ
ていました。
筆者の身近にそんな悲しいことが普通に起きていたのです。
貧しくなければ、こんなことは起こりません。
筆者には、今、この国に起きている悲しい事件も同じ匂いがするのです。
同じ種類の木でも色付く色が違います 人も同じで個性的…
大事に育てれば人も社会に役立つ貴重な存在になるのですが…
高度経済成長が悪いのか?
そんな時代を変えたのが、高度経済成長でした。
分厚い中間層ができたお蔭でこの国の社会は大きく変わったのです。
時代は「1億総中流」の時代に移っていきました。
それがバブル崩壊で、「失われた30年」…
多くの識者の皆さんが、失われた30年の失敗要因は、高度経済成長の
成功体験だと言いますが、筆者は違うと思います。
筆者は、バブル崩壊後急速に導入された欧米の経営手法が良いものだと
錯覚をしたからだと思うのです。
かつてはやり込めた相手である欧米に騙されたのです。
この国の良いところが消え、欧米の新資本主義が浸透してしまいました。
結果として、この国にも(とても容認できそうにもない)格差が広がっ
てしまったのです。
ほんの一握りの人たちが富を独占し、多くの国民が非正規に追いやられ
ました。
その結果で、貧困がこの国に蔓延るようになったのです。
米国を決して良い国だと思いません。
(あくまでも筆者の感想ですが)
最近になって、ようやく米国の惨状がテレビで映し出されるようになり
ました。
以前は決してこのような映像は流れなかったのですが…
それは、米国の大都市の裏通りに並ぶ「乞食」の映像です。
それも半端な数ではありません。
この映像が、格差の結果(惨状)を明確に物語っています。
筆者の子供の頃、この国にも乞食はいました。
高度経済成長期にそれは消えましたが、このままではまた目にすること
になるのかもしれないのです。
政治家はこの国をどんな国にしたいのでしょうか?
ビジョンが一つも見えてはきません
なぜ今までは食べることができたのか
それでは、何故、高度経済成長期は、真面目に働いたら食べていくこと
ができたのでしょうか?
それは日本の雇用形態(スタイル)が優れていたからです。
以前の記事でもご紹介したように、この国では優秀な企業が、本来国が
実施すべき社会保障を担ってきた経緯があります。
その典型が、「年功賃金」と「終身雇用」です。
それがバブル崩壊以降、悪者のように扱われた結果、不安定な雇用形態
が蔓延することになりました。
今、電車広告は、転職斡旋事業者や人材派遣事業者(非正規)の広告で
溢れています。
派遣事業は、とても不思議な事業です。
本来労働者に入るべきお金が、どこかに消えているのです。
結果、一生懸命働いても以前のようにお金が労働者の懐に入ってはきま
せん。
何処かで、
誰かが、
「鞘(さや)抜き」をしているのです。
とてもおかしなシステムだと筆者は思います。
結果として、労働者からすると、とても不安定な雇用形態が広がってし
まうのです。
海外では、貧困対策として、派遣を禁止しようという動きをしている国
もあります。(この話は別の機会にしたいと思います)
ここで、過去の日本企業の雇用形態をおさらいしてみたいのですが、記
事が長くなると読者の皆様も疲れると考え、この続きは後編にしたいと
思います。
是非、後編もお付き合い頂けますと、ありがたい限りです。
なぜ昔は、
裕福でなくても、
ささやかな生活でも、
真面目に働けば食えていけたのか?
なぜ今は、真面目に一生懸命働いても食べていけなくなったのか?
読者の皆様と一緒に考えてみたいと思います。
それでは、またお会いしましょう。