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希望だけが無い国

2025年05月03日
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先日、とある講義で希望学という学問があることを初めて知りました。

 

以前の記事で、「希望消滅」とか「希望がない」というテーマでご紹介
したことがあったのですが、こんな学問があったことを今まで知りませ
んでした。

 

希望という文字はとても不思議な言葉です。

 

希み(のぞみ)と望み(のぞみ)が二重に重なってできた不思議な言葉
です。

 

稀(まれ)な望み(めったにない望み)という捉え方もあるようですが、
その際は「希」ではなく「稀」を使うようです。

 

稀な(殆ど実現しない)望みが、希望ではなさそうです。

 

今は「稀」という文字を使わなくなったので、ややこしくなったのかも
しれませんね。

 

講義を聞いていて、確かにこの国では希望という言葉が確かに消えかか
っているのかもしれないと思いました。

 

 

筆者も今まで「希望の光」を見たことはありません

 

 

講師が冒頭で取り上げたのが、ある小説でした。

 

芥川賞も受賞したことがある作家の村上 龍さんの「希望の国のエクソ
ダス」という小説の中で、主人公の中学生が口にした言葉から講義が始
まったのです。

 

この国には何でもある。ただ希望だけがない

 

小説の中で、現代の(旧態依然の)教育制度に絶望した中学生たちがい
わば反乱を起こして脱走(エクソダス)する理由として掲げられた言葉
のようです。

 

ただ、格差や物価高等で悩み、日々生きづらさを感じるこの国の人たち
には、もしかすると共感できる言葉なのかもしれません。

 

世の中には、「希望のある人」と「希望のない人」が存在するようです。

 

「いや、希望なんて…」と、希望というモノを諦めている人も多いのか
もしれません。

 

国が今頃になって、就職氷河期に社会に入った方々に対する救済強化に
乗り出しました。

 

30代後半から50代前半までの世代をいい、全国に1700万人もい
るそうです。

 

ちょうど、団塊ジュニアと呼ばれる世代と重なる為、ある意味人口の塊
ともいえる世代です。

 

殆どが非正規で社会に入った為に、収入が少なく生活が苦しい上に、こ
のまま高齢期に入った場合には年金も満足な金額をもらえない為に、老
後に大きな不安を残すことになります。

 

こんな状態になることはもう随分前からわかっていたことなのに、

 

国は今まで問題解決を先送りにしてきたことで、とうとう追い詰められ
たようなのです。

 

(ただの選挙対策ともいえますが…)

 

テレビ報道されている就職氷河期世代へのインタビューを聞いていると、

 

「(バブル崩壊で)運が悪かったので、ある意味仕方がない…」

 

「(就職先が見つからず)アルバイト先に就職しました…」

 

等々、なかなか厳しい状況が伝わってきました。

 

ただ、希望が持ちにくい世代は、就職氷河期世代だけではありません。

 

そう、このブログで取り上げてきた高齢期の方々もまた希望が持ちにく
い状態に置かれているのです。

 

希望は幸福と密接な関係があります。

 

希望とか幸福があれば、夢を持つこともできます。

 

 

「希望」と「幸福」があれば「夢」が生れます
「夢」があるから「希望」があるのかもしれません

 

 

新自由主義が進展し、拝金主義の世の中になってしまいました。

 

お金が全てではないのに、本当におかしな世界です。

 

お蔭で格差と貧困が世の中全体に広がってしまいました。

 

このおかしな世界を変えていくためには希望が必要なのかもしれないの
です。

 

希望 = 変化

 

今の社会の仕組みを様々な形で変えていく

 

今はそうじゃないけれど…

 

高齢期でも夢や希望が持てるようにする為には、上述の村上 龍さんの
小説の主人公たちのように社会に対して反乱を起こす必要があるのかも
しれませんね。

 

反乱という言葉は過激ですが、何でもかんでも先送りするこの国に対し
ては過激な行動も時には必要なのかもしれません。

 

 

自走人生には夢が必要

 

 

講義の中で、面白い話しがありました。

 

キリスト教では、「信仰」と「希望」と「愛」が尊ばれているのだそう
です。

 

確かに真ん中に「希望」という言葉があります。

 

反面、多くの日本人が信仰する仏教には、「希望」という言葉が出てこ
ないのだそうです。

 

本当にそうなのか…

 

疑問に思った筆者はネットで検索してみました。

 

確かに「悟り」とか「無」は出てくるのですが、なかなか「希望」とい
う言葉はなかなか出てはきません。

 

最上の希望は「悟り」なのだそうです。

 

地域や文化、お国柄が違うということなのでしょうか。

 

 

大人でも高齢期でも「夢」や「希望」を持つことは素晴らしいこと
その為に、「学ぶ」「憧れる」「知る」「感動」がとても大事です

 

 

この国では過去から自然災害が多く、人々は過酷な状況に晒されてきま
した。

 

だからこそ、希望が大事なのですが、「希望」より「我慢」が先行して
きたのかもしれませんね。

 

この国では「我慢」することはできても、「希望」を持つことはできな
い…

 

でも、希望はとても大事…

 

高齢期でも希望を持つ方法を過去の記事でも考えてみたことがありまし
た。

 

そのKEY-WORDは、「自走人生」

 

ご興味のある方は是非読んでみてください(長い記事ですが…)

 

「自走人生」を踏み出すために必要なことは夢を持つことです。

 

充実した人生を送る為の車の両輪が、「希望」と「幸福」であるならば、
その車の進む方向を指し示すモノが「夢」かもしれません。

 

「夢」なんかで飯が食えるか…

 

現実を直視しろよ…

 

なんて言葉が聞えてきそうですが、「夢」は自分の中でいつまでも「夢」
であり続けます。

 

諦めない限り…

 

誰に馬鹿にされようが、夢は自分の中で死ぬまで夢であり続けます

 

子供の頃は夢があった…

 

でも大人になって、「現実を理解できるようになったら諦めた」なんて
人も少なくないのかもしれませんが…

 

でも大人になって夢を持っていても怒られませんよ。

 

罰金を喰らうこともなく、違法でもありません。

 

ですから高齢期になってからでも「夢」があってもいいのです。

 

「夢」が「希望」や「幸福」に繋がればどんなに素晴らしいことか…

 

だって、人生は長くなりましたから…

 

以前の記事でもご紹介した「自走人生」への心構えを表した図です

 

 

ただ、第2の人生をスタートさせる時には心構えも必要です。

 

「捨てるもの」と「身に着けるもの」があります。

 

これができていないと、なかなか「自走人生」は歩めないようです。

 

長い会社人生の中でこびり付いたモノを脱ぎ去り、第2の人生をスター
トさせるモノを身に着ける。

 

そして、これからは究極の「セルフ・マネジメント」

 

その先に、

 

自分は何がしたいのか?

 

自分の夢とは?

 

が見えてくるのかもしれませんね。

 

結局、「夢」や「希望」は与えられるものではなく、

 

自分で動いて、自分で自分を磨いて、自分が創っていくものですから…

 

筆者は、今厳しい状況に置かれている人の方が希望を見つけやすいと
思うのです。

 

挫折や厳しい状況を経験した人が、それを乗り越えていく過程で希望が
見えてくるのではないかと…

 

そう思うからです。

 

大事なことは、以前の記事に書いてみましたのでご参考にしてみてくだ
さい。

 

今回の記事は、久しぶりに面白い講義を聞いた関係で、希望についてま
とめてみました。

 

 

今回の記事も最後までお付き合いを頂き、感謝申し上げます。