老いることを考える
筆者は今日も地元の高齢者が住む場所に訪問しています。
最近増え続けるサービス付き高齢者住宅…
マンションタイプからアパートタイプまで様々な形態があります。
「〇〇万円で入居できます」
こんな看板を立てて、安さを売りにしているところもあります。
ただ、安価なところは居室が狭いだけではなく、多くの入所者に対して(狭い)お風呂とシャワーが一つずつしかないなんてところもあるようで、不満の材料にもなっているようです。
市場主義社会に全てを任せてしまうと、
どうしても利益優先となってしまい、
入居者や利用者の満足は二の次になってしまうのです。
超高齢化を爆進中のこの日本では、高齢者のサポートもお金次第になってしまいました。
施設で働く職員も、お金儲けの為の効率主義と顧客満足の間で、悩みながら働いています。
これからも増えていく高齢者施設と住宅…
このまま放置してはいけないのではないかと考え込んでしまいそうです。
先ほどから話をしている高齢者住宅、規模は大小いろいろありますが、必ず職員が駐在している分少しは安心感があるのかもしれませんね。
心配なのは、やはり独居の高齢者です。
それもその殆どが単身女性です。
そんな単身女性高齢者の住まいを訪ねていて心配になることがあります。
地元神戸も平坦地が少なく、山間地が多いのです。
駅から徒歩圏といえども、急こう配の坂を上がっていかなければならないところも少なくありません。
それもキチンと歩道があるところはマシです。
車でも大変な急こう配を上がった先に、手摺りもない更に急こう配の階段が続く場合もあります。
いや、階段があるのはまだマシかもしれません。
段差もなく、ただスロープを上る…
手摺り等ありません…
その先に家があるのです。
冬季で凍結している場合は、とても登れるものではありません。
こんな所でお住いの女性をご自宅までお送りした際、彼女が頼っていたのはそのスロープの脇にある植込みの枝でした。
この細い植込みの枝が、この女性にとって唯一の頼みの綱なのです。
やっとの思いで帰った家には誰もいません。
これが単身高齢者の生活の実態なのかもしれません。
自分が高齢者になった時のことを考えている人は少しながらもおられるのかもしれません。
でも自分の身体が弱った時に、誰も身近に助けがいない時のことを考える人は、とても少ないのが実態なのかもしれないのです。
地元兵庫県も海に面した神戸の街の裏側にある六甲山系を超えると山ばかりです…
自宅を建てるというのは一生に一度の大仕事…
夢のマイホームです。
たくさんのお金を用意できない場合は、少し条件が悪いところを選択する場合もあるかもしれません。
そんな時、自分が老いた時のことも考える必要があるのかもしれません。
(歳をとってしまった場合)この坂道を弱った足腰で歩けるのか…
公共交通が無くなった時、ここでどう生活するのか…
頼れる親族や知人がいない場合はどうするのか…
住み慣れた自宅を離れることは悲しいことですね。
でも、弱った時のことを心配して自宅から遠く離れた施設や高齢者住宅に転居する高齢者の皆さんが後を絶ちません。
多少、
駅から離れていても、
公共交通機関の便数が少なくても、
住み慣れた自宅が一番ですよね。
施設や高齢者住宅に入居したからといって、幸せに暮らせるという保証はありません。
できる限り自宅で頑張って、限界なら施設へ行く…
こんな方法しかないのでしょうか。
住み慣れた自宅で最後まで過ごせるシステムが必要なのかもしれません。
ただ居宅介護も厳しい現実に晒されています。
介護職員の確保もままならない状態です。
現実は、元気な高齢者が多く働く介護職員で支えられているのです。
平地が少ないこの国では、山の斜面を利用して街がつくられているケースが多いのです…
理想の住宅の今
高度経済成長期に、日本中にたくさん建てられた団地でも厳しい現実を見ることができます。
首都圏のように人口を維持できているところは、その団地も建て替えが進んでいます。
エレベータが付いているだけではなく、階段の段差も(高齢者向けに)配慮されています。
高齢者の住民を想定した仕組みが組み込まれ、安心安全システムが機能しているのです。
しかし、人口減少が進む地方ではそうはいきません。
先日、筆者は地元の古い団地に行ってきました。
5階建ての古い建物が建ち並ぶエリアでも、高齢者の単身住宅が多く存在しています。
朝夕は介護施設の送迎車が頻繁に行きかっていました。
そんな団地の片隅にある階段で、ある意味残酷な光景を目にしてしまったのです。
自分では歩行が困難な高齢女性が、階段に設置された手摺りにしがみつき、必死に階段を上っていました。
というより、階段の手すりに身体を
「まとわりつけて」
「もがいている」
といった方がいいのかも…
この高齢女性も単身なのかもしれません。
3階にある部屋まで上るのに10分以上かかっていました。
踊り場の手摺りの切れ目で、必死に反対(裏)側にある手摺りに手を伸ばす姿が目に焼き付きました。
エレベータがあればこんな苦労はしなくてもいいのですが…
かつては夢の住まいであった団地…
誰も50年後や60年後に起きる超高齢化した社会を予想することはできなかったようです。
首都圏では古い団地の建て替えが進んでいます… ただ、人口減少が進む地方ではそう簡単ではありません…
先日の記事でもご紹介したCCRCのようなシステムが、公共のシステムとして供給されることが望まれているような気がします。
CCRCもお金持ちの為の至れり尽くせりのようなものは存在しますが、そこを利用できるのはほんの一握りの富裕層だけです。
一般の高齢者が利用できるシステムを実現するまでには時間もかかるかもしれませんが、今それを考えておく必要があると感じました。
そして、そのシステムが実現するまで、自宅で生活できるシステムも必要であることは間違いないのです。
ただ、そのシステム構築を市場経済に委ねることの難しさを考えると、少し暗くなってしまいそうです。
これからも高齢化は深化し、進展していきます。
この国で、これから超高齢化社会の中を生きていく方々は、思考回路を変える必要があるのです。
日本人の平均寿命は飛躍的に延びました。
ただ、以前の記事でもご紹介したように健康寿命は余り延びてはいないのです。
ようするに、困難を抱えながら生きる時間が増えたと言ってもいいのかもしれません…
その為にも、若い時から自分が歳老いたことを考えて判断する能力を身に着ける。
社会が高齢化へ対応していくスピードは速くはありません。
自助努力と言う言葉は好きではありませんが、生活力の一環として、
「自分が歳老いたことを(常に)考えておく」
そうすれば…
必然的に自分の住む場所も、暮らし方も、変わってくるような気がしました。
今回の記事は、地元の高齢者が住む街を見て思ったことを記事にしてみました。
今回の記事も最後までお付き合い頂き、感謝申し上げます。




