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物語られる生命

2020年11月28日
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筆者が記事で度々紹介している2025年問題。

 

その主人公でもある団塊の世代の皆さんは、2025年から後期高齢者
の仲間入りをします。

 

そしてその後、団塊の世代の皆さんは2035年から2050年くらい
にかけて人生を完結することになります。

 

中には100歳を大きく超えて生き続ける方もいるかもしれませんが、
多くの方が人生の最終プロセスを迎えることになるのです。

 

今回の記事は、この団塊の世代の皆さんが人生を完結する時の事を少し
だけ考えてみたいと思います。

 

 

日本人の殆どは病院で亡くなる

 

 

読者の皆さんは、人生の最後をどこでどのように過ごしたいでしょうか?

 

日本人だけでなく、外国の方々もその殆どが住み慣れた自宅で最期を迎
えたいと思っています。

 

しかしながら、この日本でも長い間殆どの方が病院で亡くなっていると
いう事実があります。

 

この病院で亡くなる方が一挙に増えた時期があります。

 

それは1970年代から1980年代です。

 

それまでは、殆どの方が自宅で亡くなられていました。

 

企業で働く方の定年が50歳とか55歳だった時代、定年退職すると大抵は
子供の世話になりながら残りの余生を生きることが多かった時代でした。

 

3世代が住む世帯が、世帯全体の半数を占めていた時代には、殆どの方
が子供や孫といった家族に看取られながら亡くなることが多かったので
す。

 

それがなぜ、病院で亡くなるケースが増えたかというと、単純に核家族
化が進んだことだけではありません。

 

そのきっかけをつくったのは、実は社会保険制度の改革です。

 

高度経済成長の恩恵もあり、社会保険の一つである医療保険の制度が
1973年に大きく変りました。

 

老人医療費の無償化がそれです。

 

国はこの老人医療の無償化を実施した1973年を「福祉元年」と称し
ました。

 

国が福祉国家を目指して大きく舵を切ったのが1973年だったのです。

 

ただ、この老人医療の無償化には大きな落とし穴があったのです。

 

この老人医療費の無償化が総医療費の急激な上昇をもたらしたことは当
然のことかもしれません。

 

当時の高齢化率は7%を超えたくらいの時にも拘わらずです。

 

 

 

 

 

 

 

そして同年に起きたオイルショックによる雇用不安と景気後退の影響も
あってか当時の病院は介護施設と化してしまったのです。

 

結果として、その後 10 年間で社会保障給付費の対国民所得比は 6.5%か
ら 13.7%へと2倍以上に膨張してしまいました。

 

介護を伴いながらの医療、長期化していく入院に苦闘する病院の姿が目
に浮かぶようです。

 

この頃から病院で亡くなる高齢者の方々が増えていったということにな
ります。

 

少し補足すると、福祉元年と銘打った1973年に発生したオイルショック
による景気後退の影響もあり、老人医療保健無償化は9年後の1982年に
見直されることになったのです。

 

 

社会的入院

 

 

読者の皆さんは、「社会的入院」という言葉を聞いたことがあるでしょ
うか。

 

一般的な定義として、

入院治療が終わっても、家族・地域の福祉施設などの受け入れ先がない
ため退院できず、入院を続けることを指します。

いうなれば、病院での長期入院を指します。

 

前述の1970年代ではまだ介護施設の整備が追い付いていないこともあり、
多くの高齢者の皆さんが病院で長期入院を余儀なくされました。

 

そしてそれに拍車をかけたのが、経済成長と共に進行した核家族化です。

 

2015年統計では、昔のような3世代が住む大家族の世帯は僅かに13%
程度まで減少してしまいました。

 

約30年の間に大家族制は一気に崩壊してしまいました。

 

それに代わって増えたのが、高齢者の単身世帯(特に女性の単身世帯)
と高齢者夫婦の世帯です。

 

こんな状況では、今後もこの「社会的入院」は無くなることはなさそう
です。

 

 

望まれる在宅医療・看護・介護

 

 

病院での治療が終わっても、まだまだ医療行為が可能な介護施設の数は
量的にも少ないのが現状です。

 

国も医療が充実している介護療養型医療施設を増やす方向で進めていま
すが、これから後期高齢者が爆発的に増えていくことを考えると対応力
には疑問が残ります。

 

そんな中、やはり期待されるのが以前の記事でもご紹介した「在宅」と
いうKEY-WORDです。

 

 

 

画像素材:いらすとや 在宅医療・看護の早期普及が望まれています

 

 

 

コロナの影響は長期化の様相を呈しています。

 

施設型の医療や介護には当然のごとくリスクもあります。

 

まだまだ整備は進んでいませんが、在宅医療や在宅看護事業を進めてい
る組織は日増しに増えています。

 

そんな組織が増えていけば、在宅介護とプラスして「在宅」を強化でき
ます。

 

この「在宅」、自宅で人生を完結させることにも大きく貢献できるので
す。

 

在宅ケアを行う医師と看護師が医療を本人の意思や家族の意向を尊重し
ながらサービスを提供し、看護師が医療面で世話をして、それを介護
事業者さんがサポートする。

 

そして、住み慣れた家族に囲まれながら人生の完結を迎える。

 

集まった家族は、みんな本当は悲しいのだけれど、みんな笑っている。

 

人生を完結する本人にすれば、“ちょっとは悲しめよ!”と思いながら
最後の時間を想い出とともに過ごす。

 

こんなドラマのような完結シーンを迎える。

 

 

 

 

画像素材:いらすとや 病院での完結というシナリオは変わるかも

 

 

 

 

筆者はこれが真の「地域包括ケア」の姿ではないかと思うのです。

 

いや、人生の完結には「地域包括ケア」+「家族包括ケア」が必要なの
だと。

 

団塊の世代が大量に人生の完結を迎える頃、こんなケアの姿が日本中の
そこらじゅうで見ることができれば、その完結は幸せなものかもしれま
せん。

 

こんな完結こそが、家族に「物語られる生命」の姿かもしれませんね。

 

今回の記事は、筆者の想いばかり入ってしまいました。

 

お詫び申し上げます。

 

 

今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

次回の記事は、12月3日頃投稿予定です。

おおもめにもめたアメリカ大統領選挙、ここにきてようやくトランプ
大統領が負けを認める発言をし始めましたが、よくよく考えると
トランプさんもバイデンさんも70歳代です。

こんな大事な仕事をする人が70歳代、それも後期高齢者の領域です。

日本では70歳を超えると全く仕事ができなくなります。

それどころか60歳を超えると企業では採用を断られます。

やっぱり年齢差別がはびこるこの国はおかしいのです。

コロナの時代だからこそ、年齢にかかわらず社会に貢献できる仕組みが
必要だと強く思います。

次回の記事は、アメリカ大統領について記事にしてみたいと思います。