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社会の質

2022年02月26日
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昨年末に起きた大阪ビル火災の記事で、この国の社会の持つ閉塞性につ
いて述べてみたことがありました。

 

ただ年が明けても類似する事件は後を絶たず、暗いニュースが連日のよ
うに報道されています。

 

この国が持つ閉塞感漂う社会性をどのように解決して行けばいいのでし
ょうか?

 

我々日本人は何を間違ったのでしょうか?

 

筆者には一つ言えることがあります。

 

それは教育です。

 

先日、東大前で受験生等がナイフで傷付けられる事件が起こりました。

 

犯人の少年は、学力が低下し入りたかった東大を断念せざる負えない状
態になったことを悲観しての犯行と話していたそうです。

 

社会学者の宮台真司さんは、この事件について「幸せな人生はいろいろ
ある」ことを教えるべきだとおっしゃられていました。

 

その通りで人生は一つではなくいろいろあるのですが、以前の記事でも
書いたようにこの国の社会の領域は頑固にそして強固にその城壁を閉ざ
しています。

 

 

 

以前の記事でもご紹介した「社会の領域」です。
とても閉塞的で強固にそして頑固に形を変えようとせず、この領域から
零れ落ちたものは白い目でみられ、社会から疎外されるのです。

 

 

 

いい学校を卒業して、安定した企業に入り、親から自立して、名声や名
誉を手にする。

 

こんな生き方だけでは息が詰まりそうですが、こんな生き方が素晴らし
いとされた時代も確かにあったことは事実です。

 

でも、こんな生き方ができるのは一握りの人間だけです。

 

人生そんなにうまくいくものではありません。

 

この国の正しいとされる生き方は、決まったレールの上に乗っているこ
とを要求していて、そのレールから外れると白い目で見られるのです。

 

そして、敗者復活戦もありません。

 

本当に面白くない社会だと思います。

 

 

この国には真の多様性が必要

 

 

この国では長い間、人と同じであることが美徳であるという常識が蔓延
していました。

 

学校だけでなく、会社でも金太郎飴のようにどこを切っても同じ人・組
織がよいことであるという誤った考え方が常識化していたのです。

 

 

 

画像素材:いらすとや 若い人は金太郎飴なんて見たこともないかも
昔縁日の出店でよく売られていたどこを切っても同じ顔が出てくる飴

 

 

もっと他人と違うこと、違う考え方を認めてあげる。

 

多様な選択肢を与えてあげる。

 

そんな教育が必要であったのにできていなかったのです。

 

学校だけでなく、家庭も地域のコミュニティでも個性を認める、多様性
を褒める教育が必要です。

 

要するに教育の質を見直す必要があるのです。

 

この教育の質社会の質と言い換えることができるかもしれません。

 

そんな多様な選択肢を認められる社会であるからこそ、閉塞感で満ちた
従来型の社会の領域から零れ落ちた人々を救うことができるのだと思い
ます。

 

 

少子高齢化の特効薬としての多様性

 

 

この多様性は、国難ともいえる少子高齢化の対応にも役立ちます。

 

少子化の対応には、女性に無理やり子供を産んで頂いたり、保育園を山
ほどつくる必要もありません。

 

子供を産み育てることが可能な世代にも多様性を認める。

 

子供を産むカップルと産まないカップル、両方を認める社会をつくる。

 

子供を産むカップルには、税負担軽減から子育て支援、教育費の支給等
手厚い支援を施します。

 

子供を産まないカップルには社会の維持に必要な相応分の負担をして頂
くわけです。

 

ですからつくる保育園もある程度計算ができるようになります。

 

 

 

国難である少子化対策に努力してくれる家庭には国が報いる仕組みを
つくるのです。いろいろな課題はあるでしょうが国民の協力は得られる
ようになるかもしれません。

 

 

高齢化も同じです。

 

今のままでは、社会保障費の上昇に歯止めが効きません。

 

でも身体が弱る高齢者ばかりではないのです。

 

元気な高齢者には出来る限り働いてもらうことによって社会保障費を抑
えることが可能です。

 

ただ高齢者が働ける仕事が余りに少ない事と、この国に蔓延る年齢差別
が邪魔をしているのです。

 

であれば、高齢者専用の仕事をつくる。

 

それもキチンとした報酬で仕事をしてもらうのです。

 

スーパーの雑用や工場の軽作業ではありません。

 

筆者の考えの中の一つをご紹介しましょう。

 

その考えはこうです。

 

教育現場で准教育者として道徳や社会規範について教えてもらうのです。

 

社会での長年の経験を若い世代に対して伝承して頂くのです。

 

人生の道は無限にある事

人生には挫折がつきもので、挫折があるから強くなれる事

社会の価値観や倫理観

父母や祖父母に感謝し、労わる心

 

教えることは無数にあります。

 

感染症が蔓延する中でマスクを付けないで大きな声で喋ることがどれほ
ど下品で無能な振舞いなのか。

 

そんな些細なことを守れない社会になったのはなぜでしょうか?

 

上記にあげた道徳観全てが、日本人が今失いかけているものばかりです。

 

そして双方向の教育も実施します。

 

教えるだけでなく、若者の悩みも聞いてあげるのです。

 

若者には父母に相談しにくいこともたくさんあります。

 

 

画像素材:PIXTA
子供達に教える為にはまず自らも学ばねばなりませんが、それもまた
生き甲斐につながるのかもしれません。

 

 

 

SNSで知り合った人間がどれほど危険なものか、地域のコミュニティが
どれほど有難いものか等を教えたり、逆に相談を受けてあげられるもの
は山ほどあります。

 

貧困が生む悲劇を未然に防ぐこともできるかもしれません。

 

こんな仕事を公的な費用や社会からの寄付で賄いながら実施してもらえ
れば、閉塞感に満ちた社会の領域を突き崩すことができるかもしれませ
ん。

 

筆者の考えはほんの一部に過ぎないのです。

 

社会全体で考えればもっとたくさんの仕事ができる筈です。

 

国は年金支給年齢をズラす為に企業に対して70歳までの雇用義務を課
そうとしています。

 

年金支給年齢を70歳に延ばしたいからです。

 

反面企業は、45歳や50歳になれば、早期退職や希望退職を募ります。

 

希望退職=肩叩き(退職勧告)です。

 

国はこの相容れない2つの同時進行を見て見ぬフリを決め込もうとして
いますが、これでは路頭に迷う高齢者を増やすだけです。

 

もういい加減国は高齢者を活かす政策を考えなければなりません。

 

臭いモノに蓋をする。

見て見ぬフリをする。

対応が難しいものは先送りする。

忖度することを期待する。

そして自分だけは高給をもらう。

 

この国の政治家と官僚にコビリ付いた癖・性格と言っていいかもしれま
せん。

 

高齢者の皆さんに、支えられる人ではなく、支える人になってもらう意
義と財政面での効果は計り知れません。

 

高齢化率はもう30%に届こうとしています。

 

もうそろそろ動かないと国が存続できないレベルに陥りそうです。

 

本当に心配でたまりません・・・・

 

今回の記事も最後まで読んでくださり、感謝申し上げます。