0.5ミリ前へ
読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。
2018年からスタートしたこのブログも足掛け6年目に入りました。
今年もこんな面白くもない、クソ真面目なブログにお付き合い頂くこと
を考えると心苦しい面もありますが、今年も嫌がらずにお付き合いを頂
けますと嬉しい限りです。
毎年、新年の記事は長文になってしまっており、今年こそは長くならな
いようにと考えていた矢先に、元旦にとある地方紙(西日本新聞)の記
事に目が留まってしまいました。
その記事とは、元総理である野田 佳彦さん(衆議院議員)に関する記
事でした。
なぜこの記事に興味を持ったかというと、野田元総理が30年以上も早
朝に地元の駅前に立ち続けているというこの記事の副題に付いていたあ
る偉人の名前が気にかかったからです。
新春ぐらいは華やかな花を飾って清々しい気分でいたいものですね
その偉人の名前は、松下 幸之助(パナソニック創業者)さんです。
野田元総理のような人が、今でも松下幸之助さんの助言を原点に行動し
続けていると聞くと、不祥事ばかり起こしている今の政治家とは一味も
二味も違うんだなと感じてしまいます。
野田さんと松下幸之助さんとの接点は、野田さんが大学を卒業した後す
ぐに門を叩いた松下幸之助さんが立ち上げた私塾「松下政経塾」でした。
1980年に湘南海岸の近くに出来たこの私塾の第1期生として、入塾
の際には松下幸之助さんから直接面談試験を受けています。
その時のエピソードを野田さんは今でも語り続けているのです。
”笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした”
”むしろ、射抜くような怖い目つきでした”
きっと本当に怖かったんだろうと思います。
松下幸之助さんから野田さん宛ての質問もとても興味深いです。
松下さん:「君の身内に政治家はおるか(いるか)?」
野田さん:「全くいません」
松下さん:「そりゃ(それは)、エエ(いいことだ)な」
松下さん:「ところで君の家は金持ちか?」
野田さん:「どちらかというと貧乏です」
松下さん:「なお、エエ(いい)な」
野田さんには当時も何が良かったのか、今考えてみても、さっぱり分か
らなかったようです。
この会話を聞いていて、筆者は松下幸之助さんの真意がわかるような気
がしました。
当時は高度経済成長期の真っただ中でしたが、「経済一流、政治三流」
という言葉が表すように政治に大きな問題があると松下幸之助さんは感
じていたのだと思います。
だからこそ私財を投げ打って私塾を立ち上げ、この日本を変え得る政治
家を育成しようとしていたのでしょう。
この私塾、決められたカリキュラムはなく、自分で学ぶべきことを決め
て、自分で研究を進めるという独創性を持っていました。
そして、塾の1日の始まりは掃除(基本)から始まります。
松下幸之助さんは、政治家の世襲にも問題を感じていたと思います。
(あくまでも筆者の感想です)
政治家が庶民と乖離していることも熟知していたのかもしれません。
野田さんは、松下政経塾で学童保育の研究をして、5年後に塾を卒業し
ています。
この5年の間に野田さんは松下幸之助さんから貴重な話しを聞けたと思
いますが、その後政治家を目指す中でも訓示を受けていたようです。
その訓示による結晶の一つが、この地道な早朝活動になったのかもしれ
ません。
でも30年も続けるなんて、正直凄いと思ってしまいました。
筆者のブログもたかが5~6年、まだまだ努力が足りませんね(笑)
松下政経塾は、湘南の海の近くにあります
本当は怖い人ではないんです
筆者も実は一度だけ松下幸之助さんにお会いしたことがあります。
それも至近距離で。
当時は年2回、各事業部の新製品を創業者に見てもらう機会がありまし
た。(当時パナソニックは事業部制を採用していました)
確か1982年だったと思います。
当時、筆者は会社でコンピュータを担当していたのですが、ある時期だ
け発売されたばかりのワードプロセッサー(文章を作る機械)も担当し
ていました。
このワープロ、電気メーカはこぞって新製品を発売していましたが、当
時のパナソニックの売りはインクジェットプリンターでした。
今のプリンターは殆どがインクジェットですが、当時は最先端だったの
です。
今のように密封されたカセットでインクを補充するのではなく、プリン
ターの中にポンプとタンクを内蔵していて、昔のブラウン管テレビの技
術を応用して、インクの粒を電気で引っ張って文字を印刷するというト
ンデモナイ技術を使っていました。
ですから故障も多かったのです。
哀しいことに創業者に見せる大事な時にも故障してしまったのです。
そこで対応に現場に向かった(向かわされた)のが若い技術者だった筆
者だったのです。
本社本館奥の別棟が創業者のいる建物でした。
本館建屋から別棟に向かう渡り廊下に敷かれていた赤い絨毯の上を歩く
と体が1cmくらい沈んだことを今でも覚えています。
(とっても高級なものだとわかりました)
新製品がズラリと並べられた会議室に着くと、すぐに怖い顔をしたオジ
サンから、
「早く直せ」
「あと1時間後に創業者が見られる」
「それまで直せなかったら事業部長の首が飛ぶぞ!」
と脅されて作業開始。
といっても、そんな簡単には直りません。
汗びっしょりで悪戦苦闘していると、直ぐ後ろに人の気配が…
そして、奇妙なアクセントの声が聞こえてきたのです。
「君、これ なんや?」
振り向くと白髪の創業者が一人で立っていました。
驚いて顔面蒼白になった(と思う)筆者は、直立不動で応えます。
「これは、ワードプロセッサーという機械で、文章を作成する…」
しどろもどろになったことを今でも覚えています。
でも、創業者の顔は少し笑っていて、
「なんか ようわからへんけど… ~まぁ頑張りや~ 」
と若い筆者に声をかけた後、隣のブースへと向かっていきました。
きっと若い奴が一生懸命悪戦苦闘している、うまく動かないんだろとい
うことが一目でわかったのだと思います。
予定よりは30分以上早く、自分一人で見学を始めたようでした。
その後、直ぐにたくさんの取り巻きと共に各事業部の説明員が会議室に
なだれ込んできて創業者は人だかりの中に消えていきました。
ほんの1分くらいの出来事でしたが、怖いというより優しいお爺さんと
いう感じでした。
子供の頃から苦労され、日本を代表する企業を創った立派な人ですが、
とても人間味のある方のように感じました。
結局、ワードプロセッサーの動くところは見せれないまま、その場は終
わったのです。
松下幸之助さんから筆者は「とても大きくて広いモノ」を感じました
0.5mmでも前進する
野田元総理もこんな経験をたくさんしたのかもしれませんね。
野田さんが、毎朝駅前に立つのは、0.5mm進む為だそうです。
地方議員から国政へと舞台は変わっても、この駅前活動は続き、たとえ
二日酔いでも、風邪をひいていても駅前に立ったそうです。
新型コロナのワクチン接種で副反応があった時も、駅に向かったと聞く
と「凄いな」というしかありません。
野田さん曰く、
「1日でも(人前に)立てば0.5mmでも前進する」
「自分の都合で休んでしまったら後退してしまう」
この言葉は、筆者の心に響きました。
どんな年になっても、
どんな境遇(の中)でも、
立ち止まってしまったり、後退することは、自分の為にはなりません。
前へ一歩踏み出す勇気を忘れてはいけないのだと、野田さんのこの
「0.5mm前進」
は教えてくれます。
0.5mmでいいんです。
何か大きな成果でなくとも、凄い成長でなくとも、少しだけでも前に行
ければ…
水上ではなかなか思うように前には進みませんが、それでもペダルを漕
げば少しずつでも前に進みます
そしていつかは目的地に着くことができるのです
野田さんは、早朝の駅前活動の中で手渡したビラをその場で投げ捨てら
れても、
「逆風の時こそ有権者の前で説明責任を果たさないといけない」
「長い目で見れば、信頼につながるはず」
と信念を込めて記事の中で訴えていました。
記事の最期に野田元総理の座右の銘についての紹介がありました。
「素志貫徹」
常に志を持って懸命に取り組めば、いつか道が開けるという意味だそう
です。
「失敗の要因は自分が諦めること」
「成功の要諦は成功するまで続けること」
この言葉も、松下幸之助さんが遺した言葉の中にあります。
筆者も会社の研修で2年間、MBAと創業者の理念を学びましたが、その
時の記憶が戻ってきて、少し背筋が延びたように感じました。
パナソニック創業の地に建つ歴史館の入口付近に掲げられている言葉
筆者はいつも松下幸之助さんから勇気を貰います
お正月早々良い記事に出会えてよかった。
野田元総理と西日本新聞さんに感謝をしつつ、新年最初の記事をこれで
終わりたいと思います。
今回の記事も最期まで読んでくださり、感謝申し上げます。
今年もこの真面目腐ったブログにお付き合い願えますと幸いです。
本年もよろしくお願い申し上げます。