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高齢期の喪失感の正体とは?

2024年03月02日
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先日、とある高齢者住宅の一室での出来事です。

 

賃貸住宅の入居者は、85歳の独居女性でした。

 

足腰が不自由で、室内には至る所に手摺が設置されていて、その女性は
この手摺を頼りに生活をしています。

 

車で数10分程度のところに子供さんは住んでいますが、10数年前に
旦那様を亡くされてからは、比較的安価な賃貸住宅で独り暮らしです。

 

子供には子供の生活があり同居は無理、

 

そしてできれば施設には入りたくない為、独り暮らしです。

 

でも、自分の身体の状態には不安なことしかないようです。

 

「早く死にたい…」

 

こんな言葉が、頻繁に女性の口から零れ出してくるのを聞いて、筆者も
少し心配になりました。

 

「自分で頑張って生活できているのだから大丈夫ですよ…」

 

「女性の85歳はまだまだ若い、昔の70代のような方が多いのですか
ら…」

 

と、なんとか励ましてみると、今度は泣き出してしまいました。

 

 

女性の住む団地のすぐ横には大きな川が流れていて、整備された河川敷
があります。ここを散歩できればどれほど素晴らしいことか…

 

 

喪失感の正体

 

 

自分の足で歩くことができなくなった…

 

テレビの音が聞こえにくくなった…

 

昔できていたことができなくなると、人は喪失感を覚えるようです。

 

感じる強さは人によって違いますが、真面目で何事も一生懸命頑張るタ
イプの方が喪失感が強いようなのです。

 

前述の女性も、大学を卒業後結婚してからは、ずっと専業主婦として家
を切り盛りしてきた頑張り屋さんだったようです。

 

高齢期になると、その喪失感は様々な形で顕在化してきます。

 

そう、その喪失感は一つだけではないのです。

 

まず一つ目は、「健康の喪失」です。

 

身体の部位の痛みや、目や耳等の機能低下、筋力低下、病気に対する不
安等々、今迄とは違った症状が確認される度に心配が増えていきます。

 

その心配の塊がいつの間にか喪失感へと変わっていきます。

 

できていたものができなくなった…

 

イコール「老い」と結び付けてしまうと、喪失感は増幅されるのです。

 

本当は、老化とともに自分を変えていけば、大きな問題と捉えなくても
良さそうなものですが、今迄自信があったものがなくなるのは、意外と
ショックなことのようです。

 

視力も聴力も加齢とともに低下するのは、当たり前なのですが…

 

 

画像素材:PIXTA
好きでもないのに体を動かすことに抵抗感がある人もいます…

 

 

二つ目は、「縁の喪失」です。

 

配偶者や兄弟との死別、子供達の巣立ち(独立)、そして会社勤務が終
了すれば「社縁」とも別れが訪れます。

 

長い間、社会との繋がりの基でもあった「社縁」が消えるのはインパク
トがとても大きいのかもしれませんね。

 

とかく高齢期は何かと「別れる」ことがたくさんある為に、今迄あった
繋がりがなくなる喪失感を味わうことが多くなるのです。

 

特にシッカリされた旦那様を亡くした女性にこの喪失感が強く現れるよ
うな気がします。

 

配偶者を亡くすと、もう一つの喪失感も頭を出してきます。

 

三つ目は、「経済的な喪失」です。

 

高齢期になって収入が年金だけの場合、その年金も配偶者の死によって
大きく減額されてしまいます。

 

賃貸住宅等で生活している場合は、支出の大部分を占める賃貸料が生活
に重くのしかかることにもなるのです。

 

実際配偶者との死別で、住居を変える高齢者の皆さんは少なくはありま
せん。

 

貯えはあっても、月々の収入が年金だけの場合は、将来への不安は隠し
きれません。

 

それも、高齢期による医療費等の負担増を考えると、その不安は増幅さ
れていくのかもしれません。

 

筆者もまだまだ若いのですが、定年後収入が無かった時期には、この不
安の正体を垣間見たことがありました。

 

収入がないのに、

 

社会保険費はかかる…

 

市民税等の税金もかかる…
(税金は前年の収入によって決まる為に定年後は大変です)

 

預金通帳の残高が(少しずつではありながら)確実に減っていくのを見
ると、さすがに少し心配になったことを今でも覚えています。

 

(年金以外に)収入があった時には感じなかった喪失感を感じることに
なるのです。

 

 

画像素材:PIXTA
皆さん、切り詰める為に食費を削るのだそうです
人生1回切り、たまには美味しいものを思いっきり食べたいですよね…

 

 

そして四つ目は、「責任・役割の喪失」です。

 

前述の女性の場合は、食事の準備や家事全般の役割が完全に無くならな
いまでも、激減して大きく縮小することになったわけです。

 

大変で、できれば避けたいと思っていた苦労でも、急に無くなると寂し
いものです。

 

実は、筆者の住む街にも急に役割が無くなった方がたくさんいます。

 

早朝のまだ薄暗い中、筆者の家の前にはスマホを片手にフラフラと歩く
高齢期の男性が毎日のように出現するのです。

 

筆者の家の前には大きな公園がある為、そんな皆さんの通り道になって
います。

 

でも、日課の散歩でもなさそう…です。

 

定年後、やることがなく、ポケモンゴーでもやっているのでしょうか?

 

筆者の住む街の住民は大手企業に勤めていた人が多く、経済的に余裕が
ある人が多いのか、昼間でも暇そうな男性がたくさん(フラフラと)歩
いています。

 

会社勤めが終わり、責任と役割を失くした方々がゾンビにように彷徨っ
ているのです。

 

人手不足で最近は少し良くなってきたとはいいながら、まだまだ高齢期
の方々が気持ちよく働ける環境にはなっていないように感じます。

 

そう、働いていれば役割りが生まれるのですが…

 

そして、生き甲斐も生まれるかもしれないのです。

 

 

 

 

高齢期の生き甲斐

 

 

最後の喪失は、「生き甲斐の喪失」です。

 

何に生き甲斐を感じるかは人それぞれです。

 

今迄どんな人生を歩んできたかにもよりますね。

 

でも、この生き甲斐を失くすと大変なことになりそうなのです。

 

生き甲斐の喪失だけでなく、前述の喪失感を放置すると大変なことにな
りかねません。

 

なぜなら、この喪失感によって、高齢期にうつ病を発症する人が多いの
です。

 

うつ病だけでなく、この喪失感は認知症とも関係があることも最近の研
究でわかってきたようです。

 

うつ病や認知症…

 

出来ればそんなものと無縁の方がいい筈…

 

高齢期に現れるこの喪失感とどのように戦うのか…

 

そのヒントも、この生き甲斐にありそうな気がします。

 

「健康の喪失」「縁の喪失」「経済的な喪失」「責任・役割の喪失」が
避けて通れないなら、新しく生き甲斐を創出して対抗することができる
かもしれないのです。

 

高齢期に生き甲斐なんて…

 

と、諦めないで、

 

方法は意外と簡単かもしれません。

 

例えば…

 

やり残したことをやってみよう…とか

 

(若い頃)やってみたかったことをやってみよう…とか

 

趣味の世界でもなんでもいいのです。

 

人生は1回きりですから…

 

無理に体を動かして筋力を維持するより、ずっと健康的かもしれません
よ。

 

このやってみたことをどのように考えるのか、

 

過去の記事を是非ご参照ください。

 

 

 

 

 

最近は銀行や投資会社が「資産形成をしましょう」と声高に宣伝してい
ますが、高齢期になったら「資産形成」より最後に自分はどんな姿で人
生を終えるのかを考える意味で「変身資産」を大事にして欲しいのです。

 

人生の最期でどんな自分(人間)になりたいか…を考える。

 

そこに生き甲斐が存在していそうな気がするからです。

 

人生の最期のコーナーを回って、最後の直線が見えてきた頃に、

 

「早く死にたい」

 

と思うのか、

 

それとも、

 

「死ぬ迄には、これはしておきたい」

 

「最後にこれはやっておきたい」

 

と、思うのか…

 

大きな違いが出るかもしれませんね…

 

ちなみに筆者は、

 

「(天の川を含めて)満天の星空を眺めてみたい」

 

「オーロラを見てみたい」

 

と思っています。

 

そして、この少子高齢化の国難に対して「何か」自分を役立ててみたい
と思っています。

 

 

今回の記事も最期まで読んでくださり、感謝申し上げます。