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格差は老後に姿を現す

2026年06月27日
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梅雨入りしてから雨が少なく、暑い日が続いていました。

 

でも、今回のダブル台風の影響で各地で大雨による大きな被害が出ているようです。

 

地元関西でも線状降水帯が発生し、大阪や奈良で交通機関が乱れた関係で、週末の夜は大混乱になってしまいました。

 

筆者も動かなくなった電車を途中で諦めて、家族の車で帰宅する羽目になってしまったのです。

 

家に戻ると、風を伴った凄い雨の仕業で、カーポートや物干し台の屋根が綺麗に掃除したかのようになっていました。

 

「掃除いらず」で助かったのですが、こんな雨だと傘は全く役に立ちません。

 

日本は温帯気候だった筈なのですが、まるで熱帯のスコールのようです(笑)

 

 

紫陽花が綺麗な季節になりましたね…

 

 

 

こんな不安定な気候が続く中でも、筆者は高齢社会の調査を続けています。

 

今、調査をしている場所は、60年前くらい前から開拓された古い団地の周辺に、新しい街が次々に付け加わった新興住宅街です。

 

私鉄沿線に広がるこのエリアは、この沿線の中では比較的大きな駅を中心に広がっています。

 

駅の東側にある台地の上には古い団地が建ち並び、その団地の奥の斜面に更に一戸建てが山裾に”へばりつく”ように山の上まで続いています。

 

上まで行くととっても景色がいいのですが、高齢になると急な坂道にとても苦労することになります。

 

街の中は、既に高齢化と共に人影が少なく、時折二人で散歩する老夫婦を見かける程度です。

 

街も人と共に高齢化するのですが、一戸建てが建ち並ぶ街の宿命にように急速に寂しくなっていきます。

 

一転、駅の西側の緩やかな台地には新しい一戸建てやマンションが建ち並んでいます。

 

この地域には高度経済成長期に活躍した比較的裕福な方々が住んでいるようです。

 

そう、駅の東側と西側では時代が少し違えど、経済格差のようなものが存在しているのです。

 

そこに、もう一つのグループが最近参戦してきました。

 

私鉄と並行して流れる川沿いに、多くの小さな集合住宅が、春になると出てくる土筆のようにニョキニョキと増えてきたのです。

 

駅から少し離れた小さな空き地に増え始めたこの施設は、高齢者の為の住宅です。

 

看板を見ると、高齢者(賃貸)住宅と書かれています。

 

中には入ることはできませんが、比較的大きな厨房が外からも見えるので、食事の提供はしているようです。

 

でも、サービス付き高齢者住宅(サ高住)の表記はされていません。

 

最近増え続ける高齢者(賃貸)住宅とはどのようなモノなのでしょうか…

 

高齢者が賃貸住宅を単独で借りることが難しくなった時代に、新たな受け皿(金儲け)が始まったということなのかもしれません。

 

都心からかなり外れたこの地域は土地代が安く、施設が立てやすいのでしょう。

 

「年金内で(入居して)暮らせます」

 

こんな看板が幹線道路沿いに目立ちます。

 

古い団地、比較的新しい一戸建て、そしてこの新しい高齢者住宅…

 

そこに住む高齢者の皆さんを見ていると、明らかに経済格差のようなモノが存在しています。

 

そして、世代も少し異なるようです。

 

ただ、この地域全体もご多分に漏れず、当然のごとく高齢化しています。

 

高齢者の皆さんが集まる場所を見ていると、その格差のようなものが良くわかるのです。

 

 

 

地方の私鉄は首都圏のように裕福ではありません このエリアに走る電車もとても古い車両が多いのです… この国も首都圏とその他の地域の間で経済格差があるようです…

 

 

様々な家庭環境

 

 

朝、施設に集まる高齢者の皆さんは、夕方になると住んでいる自宅や高齢者住宅に帰ることになりますが、施設に滞在している間の状況を見ていると、様々な家庭環境を理解することができます。

 

そう、発言や行動を見ているとわかってくるのです。

 

多いのは、お昼ご飯を食べた後くらいから、

 

「いつ自宅に帰れるのか?」

 

という言葉を放つ人が増えることです。

 

この言葉はどうやら日本全国(の高齢者施設にとって)共通のようです。

 

子供さんと同居していて、子供さんが昼間仕事で不在の場合は、介護が必要な親を一人で放置できない為に、施設に預けます。

 

そういう意味では、その性格は(幼児を預ける)保育園と全く同じです。

 

でも本人(高齢者)からすると、施設は「行きたいところではない」のです。

 

これも、筆者が長い間勉強してきたいろいろな施設で共通しているところです。

 

「行きたくない」ところになっている要因は様々です。

 

施設側にも多くの要因が存在します。

 

深刻な人材不足に悩む施設側には、(高齢者を)十分な対応ができる余力は全くと言ってありません。

 

人材不足以外にも大きな問題は存在します。

 

高齢者は弱くて、(身体も含めて)能力が劣っている存在…

 

そんなレッテルが貼り付けられているところも少なくありません。

 

もしかすると、この国の(高齢者)施設が持っている悪しき文化とシステムに問題があるのかもしれません。

 

でも、今の(高齢者がドンドン増えていく)現状では致し方がないことなのかも…

 

入浴・排泄・食事介護だけで精一杯で、リクレーションや体操等はただ形だけの対応で、一人一人の希望に沿った対応をすること等不可能です。

 

更に入浴介護も、酷いものです。

 

身体を洗って湯船に入ったと思ったら、

 

「ハイ、〇〇さん (湯舟から)出ましょうね…」

 

複雑な表情を見せる施設利用者(高齢者)を尻目に、ドンドンと流れ作業をこなすことしか職員にはできないのです。

 

高齢者施設には、「顧客満足」なんて言葉は存在しないのかもしれませんね…(こんな所ばかりではないことを願うばかりです)

 

結果、「行きたくないところ」になるのです。

 

逆に施設側からすると、(高齢者を対象にした)金儲けになってしまっているのです。

 

高齢化の進展と共に、社会福祉法人や医療福祉法人以外にも他業種から多くの参入があり、普通の株式会社が運営する施設が大幅に増えました。

 

要するに施設を存続させる為に、(当然ですが)儲けや利益が必要になるのです。

 

社会の為と言いながら、結局のところ金儲けに走る施設も少なくありません。(新自由主義経済の観点からすれば当たり前なのですが…)

 

そこに金儲けが得意な株主資本主義の外資が多く参入しています。

 

 

 

この季節、大気はとても不安定です… この国の介護システムも不安定なまま続いています… このままでいいのでしょうか…

 

 

 

「何が一番大事なのか」

 

というものが疎かになっている証拠が、(高齢化が進む)日本中に溢れかえっています。

 

そこには、「低賃金」で「重労働」を強いられている施設職員の苦労も存在しています。

 

(低賃金なのに)とてつもなくキツイ仕事なのです。

 

施設職員による虐待や暴力が後を絶たないのは理解ができると感じています。(それを容認しているわけではありませんが…)

 

高齢者施設を利用している方の大部分が、

 

「(今までの記事でご紹介してきたように)仕方ない…」

 

と我慢して利用しているのです。

 

家族に迷惑をかけることはできない…

 

辛抱 辛抱…

 

我慢 我慢 我慢…

 

食べることができて、居場所があるだけで有難い…

 

 

ただ、そんな人ばかりではないのです。

 

とても数は少ないのですが、夕方施設から帰りたくないという方々も実際に存在しています。

 

「もっと遊んで帰りたい…」

 

筆者は最初にこの言葉を聞いた時、正直信じられませんでした。

 

でも、そんな皆さんの家庭環境を見た時、ある意味納得させられたのです。

 

この方々が住んでいるのは、一戸建ての住宅です。

 

ある意味、裕福な生活をしてきた方々です。

 

ただ、家に帰っても自宅には誰もいません。

 

旦那様に先立たれた後は、子供たちとは別居で、独り暮らし…

 

大きな家の中には誰もいないのです。

 

そう、高齢者施設での時間は、仲良しさんとの貴重な交流の時間なのです。

 

職員が、 ”ほったらがし” にしようが全く問題がないのです。

 

仲良しさんとのおしゃべり、

 

大騒ぎのトランプ、

 

そして、時々カラオケ…

 

ただ、そこにはお金の心配がないという安心のようなモノが存在しています。

 

経済的な安定基盤があることが大きいのだと感じさせられることがあります。

 

反面、古い団地で住んでいる方々を見ていると、経済的安定基盤がないことがわかります。(全ての方ではありませんが…)

 

高齢者施設の利用は介護保険が使える為、全額自己負担ではありません。

 

とはいっても、自己負担はあるのです。

 

利用したくても経済的な理由で利用できない場合も多いのです。

 

 

画像素材:いらすとや  何でもかんでもお金次第… それでいいのでしょうか…

 

 

 

何かが足りない

 

 

筆者がそんな中で、一番問題だと感じているのはこの逆です。

 

家族と同居。

 

家はある意味豪邸。

 

駐車場には高級車が何台も止まっています。

 

家族もいるのですが、ここに住む高齢者は毎日施設に通っています。

 

家族の仕事が休みだと思う土日・祝祭日もほぼ毎日です。

 

毎日施設を利用できるので、経済的にも全く問題ないのですが…

 

ここに住む高齢者の方は重度の介護状態ではありません。

 

自分で歩くことも可能、

 

トイレも自分でできます。

 

とてもユーモアがあって、認知も問題があるとはいえません。

 

せめて日曜日くらいは、家族とのふれあいがあってもいいと思うのですが、

 

家と施設が逆

 

なのです。

 

普段施設にいて、家に寝に帰るような生活です。

 

いつも元気に接してくれる方なのですが、

 

家庭にもっと温かみがあれば、

 

もっと元気になるのではないかと筆者はいつも思うのです。

 

老後で経済的に厳しいのは心配でしょう…

 

家の中に独りも不安で寂しいかもしれませんね…

 

でも、家族がいるのにいつも施設に預けられるのはもっと辛いことかもしれません。

 

格差は経済的なものだけではなさそうです。

 

家族愛のようなモノにも格差はあるのです。

 

経済的な格差は、学歴や運のようなものに左右されてしまいますが、

 

家族愛だけには、左右されることがないようにしたいものです。

 

 

画像素材:Jim Mayes     花びらの中に花びら 包み込むような愛が家族愛なのかもしれませんね…

 

 

 

筆者も家族というものをもう一度ゆっくり考え直す時間をつくってみたいと思いました。

 

難しい問題だと済まさないようにしたいものです…

 

人生いろいろ

 

男もいろいろ

 

女だっていろいろ

 

そんな歌がありましたね…

 

でも、

 

「良い人生だったね」

 

と言える人生にする為には、いろいろな努力が必要なようです。

 

 

今回の記事も最後までお付き合い頂き、感謝申し上げます。